とまあ、そんなこんなで知鎧も裡菜と一緒に研修を受けられる事になったわけだけれど。
「…コレは…流石に想像もしてなかったぜ…?」
ココは出張所の傍に建てられた新しい家の中。
そう、櫻己が出張所で働く為、そのすぐ近くに造られた家である。
彼の家なのに、そこには知鎧と裡菜の姿もあった。
荷物を片手に知鎧は先ほどの事を思い出す。
それじゃ次に君達ね〜と正から渡された紙に書いてあったのは。
『研修の第一条件は、うちの息子と同居する事』
――そんなのありか…!?
出張所で研修を受ける事が決まった時、萬は自宅から少々離れているので住む所を探そうと思ったのだが。
いつの間にやら車に乗せられ、ココに辿り着いていた。
本当に『気付いたらこの家の前』という状態だった。
その意味不明な第一条件に、自分は余程呆然としていたのだろうなと思う知鎧である。
「おい、コレって本気か?何でまたこんな…」
こそっと裡菜に尋ねると、彼女はさらりとした表情で返してきた。
「アタシ、最初からこの条件聞いてたから今更。まさか新しい家とは思ってなかったけど」
「知ってたなら言えよ…!」
「言ったらついてこなかった?」
「……」
グッと詰まる。
「櫻己って真面目だけど、案外生活能力無いから放っておけなかったんでしょ」
あっさりとまとめられてしまい、溜め息を一つ。
――だからって一緒に住めっていうのはどうなんだよ…。
だが、落ち着いてから考えてみると、気になる点がある。
「…待てよ?って事は何だ。俺が来なかったらお前、櫻己さんと二人で?」
「おばさんもかなりの頻度で来るみたいだけど、まあ基本的にはそういう事だったんじゃない?」
「それはちょっと…」
「…何」
「あー、いや」
無理にでもついてきて正解だったかなと、心の奥の方で思う知鎧であった。
「相談は終わったか?」
会話が途切れたのを見計らって、櫻己が声を掛けてくる。
「まだ名乗っていなかったな。俺は天岾櫻己。一応院長の息子だが…まあそれは良いだろう」
「『若先生』って所ですよね」
軽い調子で言った知鎧だったが、櫻己の表情が険しくなった。
「その呼び方はやめてもらおうか。もし今後そういう呼び方をするようなら、即刻出て行ってもらうぞ」
その目があまりに鋭かったので、知鎧は引きつった笑いを浮かべる。
「わ、わかりました…」
何が嫌なのかよくわからないが、あんな目で見るくらいだから本当に嫌に違いない。
二度と櫻己の前で『若先生』とは言わないようにしようと心に誓いながら、とりあえず自己紹介を返しておく。
「俺は朱遠知鎧です。これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、次はお前の番だといわんばかりに裡菜を見る。
その気配に気付いたのか、気だるそうに裡菜が口を開いた。
「…言わなくたってわかってるでしょうが。裡菜だよ」
「……ああ、わかってる」
微妙な空気が流れた気がして知鎧は、えーと…と頭を掻いた。
三人が玄関先で、無言のまま立ち尽くすというのはどうだろうと思い、とりあえず話題を提供してみる。
「結局、裡菜は櫻己さん達とどういう知り合いなんだ?」
ただ提供するのもなんなので、一応自分の疑問を混ぜ込みつつ。
すると裡菜は、チラリと櫻己の方を見た。
それを受けて櫻己は黙って頷いた。
まるで、許可を得ているかのようなその行動に知鎧は訝しがる。
「言っちゃまずいようなら、無理に聞こうとは思わないけど?」
「別にまずくないけど、お互いあまり堂々と言いたい事でもないから」
「堂々と言いたくない知り合いって何だよ、怪しいなぁ…」
「婚約者」
「……こっ……!!」
本日何度目とも知れぬ衝撃に、知鎧はまたも言葉を失った。
ついでに持っていた荷物を床に落とした。
サングラスも落ちかけた。
「婚約者というか許婚というか、いずれにせよ『元』だがな」
そんな彼の様子に、すかさず櫻己が付け加える。
「しかも親…、双方というよりうちの両親が勝手に盛り上がってただけなんだが」
「正さん大暴走って感じだったよね」
「……申し訳なかったと思っている」
「別に。アレが正さんの良い所でもあるわけでしょ」
詳細はこんな感じである。
お酒が大好きな正さんは、フラフラと一人で飲み歩いて酔い潰れました。
そこへ通り掛かった裡菜のお父さんが、正さんを助けてあげました。
正さんは酔っ払っていたので覚えていませんでしたが、翌日奥さんから話を聞いて大感謝。
是非ともお礼がしたいと、お父さんとそのご家族様一行を食事に招待しました。
ご家族様一行と言っても、お父さんには娘の裡菜しかいなかったので二人だけだったわけですが。
その時に初めて会った裡菜を、正さんはとても気に入ってしまいました。
正さんの奥さんも気に入ってしまいました。
『うちの息子のお嫁さんになって下さい』
裡菜のお父さんは、押されると弱い人だったので、思わず『はい』と答えてしまいました。
当人達無視で、いつの間にか交わされる約束。
この時櫻己16歳、裡菜13歳でありました。
「結局本人達にその気が全く無いのと、うちの父親が亡くなったせいで無かった事になってるんだけど」
「少なくとも俺達の中ではな」
「そ、そうですか…」
という事は、結構最近までそういう事になっていたはずであろうに。
無かった事になっていると言いつつ、同じ家に住むのが平気とはどうにも理解し難い。
こんな感覚の持ち主達に囲まれて、自分は大丈夫だろうかと知鎧は少々不安になった。
自ら飛び込んだ道ではあるけれど。
−了−