憧れの人
昼下がりなんである。
昼食を終え、午後の仕事開始まではまだ30分くらいあるので、例の如く仲良し3人組は一緒にいた。
お茶セットが置いてある受付で、のんびりと話をしている。
紀阿は、そのまま仕事につけるように、カウンターの中。
「でね、でね。その時食べたお菓子がホントーに!美味しくて!!」
話をするのは主に紀阿で、他の2人はカウンター越しにそれを聞く。
それがこの3人の基本形である。
彼女は実に楽しそうに話をするので、鳶慈も琴佳も飽きないのだ。
同じ所で同じように生活をしているのに、何故彼女だけ話題が尽きないのかはちょっと謎であるが。
まあ、受付嬢なんてやってるゆえに、楽しいお客さんがたくさん来るのかもしれない。
だいぶ身振り手振りが入って来て、話が盛り上がってきた頃、へらへらと1人の男が3人の所にやってきた。
入団三日目にして既に馴染んでる男、榊である。
彼もどちらかというと紀阿と同じタイプで、あまり人見知りというモノをしない。
十両はまだ、自分が団員であるという事に多少抵抗があるようで、宙爲の傍を離れないのだが。
自分から団に入りたいと言ったものの、やはり結合に未練があったりするのだろう。
とりあえず、団には何度も来てるので、慣れていてもおかしくないといえばないけれど。
ともあれ、ニコーっとしながら3人に話し掛けてきた。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど」
「何をですか?」
鳶慈も笑顔で対応したが、彼の本性(というか別世界にいった時)を知っている紀阿は、密かに身構えていた。
そっと、受付のカウンターから出て、鳶慈達の後ろに立つ。
あの時だって、最初は笑顔だったのだ。
しかも、いきり立つ十両をなだめたり、ちゃんと名乗ったり、とても普通の人だったのだ。
それなのに。
だが、鳶慈も琴佳もそれを知らないので、普通に接している。
榊は、少々興奮気味に身を乗り出して尋ねてきた。
「ココに、天岾櫻己さんが来るって、本当?」
「ええ。団医さんですからね。いつもは知鎧さん達がいてくれますけど、たまに往診に」
鳶慈がそう答えた途端、榊の首が、ガクリと前に曲がった。
「?」
それと同時に、紀阿が鳶慈と琴佳の腕を掴んだ。
「どうしたの?紀阿ちゃん」
紀阿は、既に走り出す体勢になりながら言う。
「良い?次に榊さんが何か言い出したら、全速力だからね」
「え?どういう事…」
2人が、わけがわからないという顔をした時、榊の口からブツブツと言葉がもれ出した。
「ああ、そうか。話は本当だったんだ。ココには櫻己さんがいらっしゃるそうだよ。ふふふ…。
初めてこの団に足を踏み入れてから一体どのくらいの月日が流れていると思ってるんだ。
何故今までその事実が俺の耳の中に入ってこなかったんだよ。
それを知っていればもっと早くこの団に入っていたかもしれないって言うのに。
人生ってなかなか難しいよな。選択を一個間違えただけで、目的に辿り着くまでの時間が恐ろしく長くなってしまうことがある…!」
紀阿に引っ張られ、2人共何もわからないままに一緒に走り出して、榊からだいぶ離れていた。
が、段々と大きくなる榊の声は、離れたはずの3人の元にもはっきりと聞こえた。
「き、紀阿ちゃん?榊さん一体どうしちゃったの?」
廊下の向こうの方を心配そうに見ながら、鳶慈が問うと、紀阿は、どう言ったら良いものかと首を捻った。
「榊さんって、普通に見えるけど、ホントはああいう人なの」
ちょっと悩んだ末の答えがコレというのも凄いが、まだ声が聞こえてくる榊をどうしたら良いのだろうか。
紀阿にとっては、そっちの方が問題なのである。
何せ、今榊がいる所は、自分の仕事場である受付なのだ。
「あー!それでもようやく辿り着けたこの地に感謝だ!神様どうも有り難う!!」
鳶慈と琴佳も、それぞれの仕事の場所に戻るにはそこを通らないといけないので、どうしようかと顔を見合わせる。
そんな3人の思いなど全く知らない榊は、声高らかに宣言した。
「今日という日の記念に、昨日の夜中に作り上げたこの新薬を、団中に撒いてみる事を誓います!」
すると、声を聞いて駆けつけてきた十両が、慌てて榊に一撃入れて黙らせた。
「馬鹿!こんな所で1人で一体何やってんだ!!」
体格が大幅に違う十両の一撃は強力で、榊はあっさりと沈んだ。
まして、素手ではなく、十両愛用の武器で後頭部を直撃である。
コレで駄目なようなら、彼を止める術は無かったかもしれない。
ズルズルと除雪メンバーが集まる部屋へと運ばれていく。
多分、目が覚めた時には興奮もおさまっている事だろう。
というか、そうでないと困るのだが。
3人は、ホッと胸を撫で下ろした。
およそ二時間後。
おやつの時間頃に、榊は目覚めた。
「…痛っ…」
仰向けになろうしたら、何だか後頭部がズキズキする。
触ってみると、痛い部分が妙に腫れ上がっていた。
一体何でだろう。
そう思いながら起き上がり、辺りの様子が見慣れない所である事に気が付いた。
自分は、白いカーテンで囲われたベッドに寝ていたのだ。
窓の外の様子から、団である事は間違いなさそうなのだが。
「気が付いたか」
声が聞こえたのか、起き上がる気配を感じ取ったのか、背の高い男がカーテンを開けながら言う。
見たことが無い男だった。
自分が団員になってまだ三日しか経っていないが、結合のメンバーとしては何度もココに来ている。
つまり、殆どの団員とは顔を合わせているはずなのだけれど。
黒い髪、眼鏡、白衣、そして他の団員より大人びた顔付き。
会った事が無かった紀阿達のように、新入団員とは思い難い。
ボーっと顔を眺めていると、男はちょっと頷いた。
「まだ意識がハッキリしないか?だいぶ強く殴られたようだからな」
十両は元々手加減が苦手な上、榊を止める為に必死だったのだろう。
「しかし、随分気を失っていたが…吐き気は?」
「あ、いえ…。別にそういうのは、無いです」
「まあ、痙攣なども無いようだし、大丈夫だと思うが…今日くらいは安静にしていろ」
そう言って男は、机に向かって何かを書き込んだ。
――白衣着てるし、医者?でも、医務室には知鎧か裡菜がいるはずなんだけど…。
そんな事を考えた時、先程自分が3人組に切り出した話題を思い出した。
――まさか…。
「あのー…」
恐る恐る、声を掛けてみる。
「何だ?」
「もしかして…天岾櫻己さん…?」
「…そうだが?」
「!」
思わず、背中を向けてしまった。
櫻己は首を傾げる。
「会ったのは初めてだと思うが、よく知っていたな」
しかし、そんな言葉は榊に届いていなかった。
――櫻己さんだ櫻己さんだ櫻己さんだ…!
珍しく表に出さないまま大興奮して、体が震えている。
「…どうした?やはり気分が…」
言いながら櫻己が近付いてきた瞬間、榊は振り返って飛びついた。
「大ファンです!!」
「!?」
状況が読めない。
櫻己は、どうしたものかと思った。
往診に来た途端、宙爲が大慌てで榊の事を診てくれと頼んできた。
自分の所の隊員が1人、目が覚めないし後頭部が酷く腫れて上がっているのだ、と。
新しく入った団員の事は聞いていたので、ああ、この男なのかと思った。
もう1人入ってきた男が、何らかの事情で殴り倒してしまったという話を聞いて、何が起こったのか、と。
昔からの仲間に容赦無く殴り倒されるという辺り、普通ではない奴なのだろう、とは思っていた。
だが、突然飛びつかれるとは流石に思っていなかった。
どうするか…と、再びベッドに倒れ伏している榊を見て思う。
何故飛びついたはずの榊がまたベッドに倒れているかというと。
いきなりの事に驚いた櫻己が、榊を軽く突き飛ばしてしまったからなのだが。
あまり力を入れたつもりは無かったが、十両同様体格差に問題があったらしく、現在に至る。
「お、櫻己さん……」
微妙な体勢で、苦しそうに声を出す榊。
「ああ、すまない。突然の事に動揺してしまったようだ」
そう言って、ひょいと榊を起き上がらせ、少し離れた所から尋ねる。
こういう奴相手の場合、警戒をするに越した事は無い。
「で、一体何だと言うんだ?」
「何って…俺、櫻己さんのファンなんですよ〜」
榊は、目をキラキラさせながら言った。
そんな榊に、櫻己は本棚から一冊の辞書を取り出して渡した。
「『ファン』という言葉の意味を調べてみると良い」
冷静尚且つ厳しい対応である。
櫻己の場合、ココで笑顔を浮かべていないだけに重い。
「えーと…は、ひ、ふ…、って、違います!意味を取り違えてるわけじゃないです!」
素敵にノリツッコミ(という事は、櫻己はボケた事になるのか?)をしながら、榊は真剣な目をした。
「櫻己さんは、あの世界的名医天岾正さんの息子さんで、ご本人も医者!」
父親の名前が出た瞬間、櫻己の眉がピクリと動いた。
「凄いじゃないですか!俺も薬とか使うんですけど、櫻己さんってすっごい憧れで!」
薬とか使うって、確かに使うがあまりに自己流過ぎて周りが困っているのだが。
まあ、それはさておき。
櫻己が、ガタンと音を立てて椅子に座った。
「それは俺に憧れているのではなく、『世界的名医の息子』に憧れているんだ」
親が凄いから子供も凄いんだろうとか、結構思ってしまうものである。
櫻己も、何度もそういう目で見られてきたのだ。
医学の授業で良い成績を取っても、医者になっても、医者としてよい治療をしても、全部親のおかげ。
血のおかげと見られる事ばかりだった。
もう慣れてはいるものの、あまり良い気はしない。
当然である。
自分の努力は見てもらえていないという事なのだから。
ところが。
「違いますー!俺はちゃんと、櫻己さんに憧れてるんです!」
榊はベッドから降りて、櫻己の隣りに立った。
「世界的名医の息子ゆえ、努力をしてもなかなか自分の力として見てもらえないとわかっている医学の世界にあえて飛び込み、
地道ではあるものの、しっかりと良い結果を残していっている、そんな櫻己さんに憧れてるんです」
そしてニッコリと笑顔を浮かべる。
「写真は見たこと無かったんで、すぐにはわからなかったんですけど、色んな本とかで見てますよ?」
櫻己は、対応に困って下を向いた。
平たく言うと、ちょっと照れているのである。
「第一、血筋なんて関係無いんですよ。結局本人のやる気でしょ?そういうのが血なら、俺は音楽関係進んでないと変だし」
実は、榊の父親は作曲家、母親はピアニストなんである。
それなりに有名らしいのだが、榊にその辺りの才能は回ってこなかったらしく、楽譜すら読めない。
「勿論、お父さんが医者じゃなかったら、櫻己さんも医者にはならなかったかもしれないけど…やっぱり凄いんですよ」
「…そんな風に褒めた所で、俺からは何もできないぞ?」
「良いんですよ。そのまま頑張ってて下さい」
嬉しそうな顔の榊に、やれやれと櫻己は溜め息をついた。
「と・こ・ろ・で〜」
榊が、猫撫で声を出す。
「俺、色んな都合で医学系無理だったんですけど、薬には一杯興味あるんです。ちょっとで良いから教えてくれません?」
期待に満ちた目を向けてくる榊に、櫻己はどうしようかと思ったが、こう答えた。
「免許が無い分、扱える薬はかなり限られるぞ?」
「それでも構いません。よろしくお願いしまーす!」
普段冷静で大人な対応をしているけれど、櫻己も人の子。
褒められれば、嬉しいのである。
中途半端な知識を身に付けた榊が、一体どんな薬を開発するのか。
知らぬ事とはいえ、彼を確実にパワーアップさせてしまうであろう櫻己の罪が重くならない事を願う。
「十両〜?新しい薬できたんだけど…」
「嫌だ。絶対に嫌だ」
「この前、何をしたっけ?まだ腫れてるよな…俺の後頭部」
「アレはお前があんな所で…!」
「新しいのと言わず、色々打ち込まれたいか?」
「!」
頑張れ十両!
-了-