埋めていく時間
「…ふぅ…」
「…?」
慧史と禾に部屋での作業を任せ、団長室へと向かっていた迢が目にしたのは溜め息をつく鴇慈の姿。
窓辺で肘をついて、ぼんやりと空を眺めている。
煙草は手にしているものの、吸う様子は無い。
となると、やはり先ほど聞こえたのは溜め息なのだろう。
「珍しいな、お前が溜め息なんて」
通り掛かりながら声を掛けてみると、いつも通りあまりやる気の無さそうな声の返事。
「ん〜…そうか?」
現在は仕事時間真っ只中といえば真っ只中。
けれど同時におやつの時間でもあり、鴇慈がココにいたからといって不思議ではない。
彼は甘い物に目が無く、余程の用がない限りこの時間帯には必ず何かしらおやつを口にするのである。
「今日準備されていたのが甘い物じゃなかったのか?」
食べる団員達が比較的甘党が多い事もあり、砂が用意するおやつは甘い物が殆どだ。
けれど、たまに煎餅やスナックのような醤油系や塩系の味の物もある。
別にそれが嫌いというわけではなくても、甘い物が食べたい時にそういうおやつに当たると少々ガッカリだ。
…と、いつか鴇慈が呟いていたのを思い出し、冗談で言ってみる。
ところが。
「それもあるんだけどさぁ…」
などという返答があって迢は苦笑した。
しかしその程度の事で彼が、こんな所で空を眺めながら溜め息をつくはずはない。
「それ『も』?…じゃあ、溜め息の理由は何だ?」
隣に並んで空を見ながら、再び迢が尋ねる。
「言いたくない事なら構わないが…。今は禾もいないぞ」
基本的に鴇慈は肝心な事を口に出さない。
本人としては隠してるつもりはないらしく、自然に本音を隠してしまうタイプらしい。
ただし、ごく親しい者が相手である場合は多少正直になる事もある。
迢は鴇慈のそういう性格を知っていた。
また、無意識のうちに自分がその親しい相手の一人である事を理解している為そう言った。
無論鴇慈が禾の事を信頼していないというわけではない。
が、こういう時に彼が本音を言うほど親しいわけではないというだけである。
「鳶慈がさ」
少々悩むような表情をしながら迢の顔を見た後、鴇慈が切り出した。
「俺の事、『兄さん』って呼ぶんだよ」
「…は?」
迢の周囲に?マークがたくさん浮かぶ。
「何を言っているんだ?確かにお前は鳶慈の兄だろう」
そう言った後、ハッとする。
「ん…?そういえば……」
頭の中に流れてくる記憶。
幼い鳶慈の顔や声。
自分達が遊んでいる所へ駆け寄って来ながら、彼は名前を呼ぶ。
『迢さん!琥香さん!』
そして、鴇慈の事は…。
『お兄ちゃん!』
「……ああ、そういえば鳶慈は、お前の事を『お兄ちゃん』と呼んでいたか」
自分の呼ばれ方は変わらないから気付かなかった…と呟きながら、はたと鴇慈の顔を見た。
「え?ちょっと待て?」
隣にいる幼馴染みを見上げながら、思わず呆然とする。
「それが溜め息の理由?」
「そうだけど?」
「……」
暫し言葉が見つからなかったが、その代わりに何だかおかしさがこみ上げてきた。
段々と肩が震え、ついにはお腹を抱えながら声を上げて笑ってしまう。
「あははははは……!」
そんな迢に、鴇慈は驚いた顔を向ける。
「何だ?お前がそんなに笑うなんて…。そこまでおかしかったか?」
「だ、だってお前…、そんな理由で…!」
――普段は何が起こっても全然動じないくせに。
浮かんでくる涙を拭いながら、迢は声を絞り出す。
「鳶慈の事となると…」
どうしようもない兄馬鹿だ、と言いたかったがとりあえずやめておく。
彼が本気で言っている事がわかっているからだ。
実は端から見ると迢の妹に対する態度も相当な兄馬鹿であるのだが、本人は気付いていない。
それはさておき。
ようやく笑いがおさまって落ち着いたので、咳払いをしながら迢が言う。
「まったく…本当にお前らしいよ」
「俺らしい…ねぇ…」
窓に寄りかかるようにしながら、鴇慈は天井を見上げる。
そんな鴇慈に迢は言った。
「むしろ喜ぶべきだろう」
「成長しましたねって?」
黙って頷く迢。
鴇慈は深い深い溜め息を一つ。
「――わかってるさ」
六年間も離れていたのだ。
「でもやっぱ複雑でさ。『いつの間に』っていう感じなんだろうな」
少し寂しそうな顔をする。
「真正面から叩きつけられたみたいだ。アイツを一人にしていた長い時間全部を、一気に」
「でも」
パシッと鴇慈の肩を叩きながら迢が言った。
「取り戻すんだろ?」
それに対して鴇慈はいつもの調子で微笑む。
「出来る限りはな」
伸びをして、煙草をくわえて、もう完全に普段通りに。
「これからはアイツの傍にいてやるさ」
――アイツが俺を必要としている間は。
それがいつまでなのかはわからないけれど。
「そういえば迢、お前が仕事時間中に企画室の外にいるのって珍しいよな」
そう言われた瞬間、迢の頭の中に何故ココを通り掛かったのかという理由が物凄いスピードで流れた。
「まずい、あまり部屋を空けていると慧史が!」
禾に遊ばれてしまう、と言う間ももどかしく迢は走り出した。
「『廊下は走らない』じゃなかったのか?」
「時と場合による!」
背中の方から鴇慈の笑い声が聞こえる。
仕事はたくさんあるけれど、禾の作業効率は侮れない。
自分の分をさっさと終わらせて、慧史をからかっているかもしれない。
――…やれやれ…。
まあ、鴇慈が元に戻ったから良いか…と思う事にした。