![]()

普通でいなさい。普通に。
「お前はただでさえ、その赤い瞳のせいで目立ってしまっているのだから」
「…はい」
可叢(かむら)はちょっとムッとしながらも素直に返事をした。
ココで何か返せば、説教が長くなる事を知っていたから。
兄がもう何も言わない様子なのを確認してから腰をあげ、襖に向かい呟くように言う。
「失礼します」
そんな弟を、兄は苦笑しながら見送った。
槻(つき)可叢、十三歳。
黒髪黒瞳のこの時代。何を間違ったか生まれつきの赤い瞳。
コレで目立つなという方が難しい。
外にある、板張りの高廊下を歩きながら、可叢は深い溜息をついた。
『兄上は、いつも同じ事を繰り返す…』
人と多少違って生まれてしまった自分を心配する気持ちはわかる。
しかし、こう毎日その事を指摘されては、有り難味を感じるというよりは、むしろ鬱陶しい。
自分が他人と同じように生まれてきていたら…。
確かにそう思ったこともあるが、それはそれでなんとなく嫌な気もする。
なんとも複雑な所である。
可叢がもう一度溜息をつこうとした時、それは起こった。
ぶおん
頭の上の方で、奇妙な音。
ドサッ
そして、背中の方で何か大きなモノが落ちる音が。
「…何だ!?」
驚いて振り返ってみると、そこには可叢と変わらない年頃の少年が倒れていた。
ただし…、
「銀の髪に…青い瞳…?」
そして、少し尖った耳。
あまりに見慣れない容姿に目を瞬いていると、その少年は頭をふりふりゆっくりと起き上がった。
どうやら、後頭部を打ったらしく、暫しの間俯いていたが、可叢の姿を認めると、大慌てで一気にまくしたてた。
「い、いつからそこにいたんだ!?
えーっと…俺、全然怪しくなくて、別にココに来ようとしたわけじゃないんだけど、
今の様子からするとどうやら術に失敗しちゃったみたいでその…、悪い事しようとかそういうのは無いから、
うん、そんなの全く持ってないから、だから!…誰かを呼んだりは…」
少年があまりにべらべらと喋るので、可叢は呆気に取られていたけれど、
その慌てぶりが可笑しくて、思わず笑い出してしまった。
「な、何で笑うんだよ!?」
「だって君…、凄い慌ててるんだもん」
すると、少し落ち着いたのか、今度は拗ねたように少年が言う。
「仕方ないだろ?大抵のヤツは俺を見ただけで大声を出して助けを求めたりするんだから」
「ゴメンゴメン。確かにビックリするよね。そんなに綺麗な髪と瞳の色なんだもん」
「え?」
可叢のその言葉に少年が驚いた時、襖の向こうから兄の声が聞こえてきた。
「可叢?今何か大きな音がしたけれど…どうかしたのか?」
その声に明らかな狼狽を見せた少年を庇う様に、可叢は落ち着いた声で応えた。
「何でもありません。兄上、心配は無用です」
そして、その場から逃げるように少年の手を引いて自分の部屋に飛び込んだ。
事態を理解できない様子の少年に、可叢は笑って言う。
「大丈夫だよ。兄上には内緒にしておいてあげるから」
「あ、ありがとう…」
「俺、可叢。槻可叢。君は?」
「俺は…焔水瀬(ほむらみなせ)」
「水瀬か」
何故かウキウキしている可叢に、水瀬は首を捻る。
「な、なぁお前…、どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」
すると可叢はハッとした様に水瀬の方を見た。
「ご…ゴメン…。俺、あんまり自分と同じ位の子供と話した事無いから、何だか嬉しくなっちゃって…」
「俺たち位の子供なんて、その辺に沢山いるじゃないか」
「…俺、こんな瞳だからさ、あんまり外に出して貰えないんだ」
そこで初めて可叢の瞳を覗き込んで、水瀬は納得する。
「そうか…」
何だか暗くなってしまった空気、それを振り払うように可叢は話題を変える。
「君さ、さっき何でいきなり降って来たの?術が何とかって…。もしかして、物の怪とかそういうの?」
ストレートな質問に一瞬言葉を詰まらせた水瀬だが、可叢に悪気が無い事はよくわかる。
だから包み隠さず素直に答えた。
「俺、半分物の怪で半分人間なんだ。だからこんな見た目だし、術も使える。けど…」
「けど?」
「やっぱり半分人間だから、あんまり上手く術を使えないんだ」
水瀬は照れたように鼻の頭を掻いた。
「だからさっき、山の方へ帰ろうとしたのにここへ来ちゃって…」
「ふ〜ん…」
「でも、お前以外に誰もいなくて良かったよ。他の人間に見つかったら何されるかわからなかったからな」
「え?どうして?」
本当に『わからない』という様子の可叢に、水瀬は苦笑しながら言った。
「だって、俺が半分人間だって言ったって、もう半分が物の怪だからってだけで、話なんて聞かないからな」
「そうなの!?髪と瞳の色が違うだけなのに…」
「それに比べて物の怪の方はあんまりそういうの気にしないからな。
俺が半分人間だろうと別に変わりない態度だし。だからそういう奴等と暮らしてる」
「俺はさ、俺は気にしないよ?だって水瀬、全然嫌な感じしないもん」
「そ、そうか?」
「もし水瀬が嫌じゃなかったらさ、俺と友達になってよ」
この言葉に水瀬はまた大層驚いたけれど、なんだかとても嬉しかった。
「『嫌じゃなかったら』って言うのはこっちの台詞だよ。俺みたいな半端な奴で良いなら…喜んで友達になるさ」
「やった!」
ふっと外を見た水瀬は言う。
「今日はもう帰らなきゃまずいけど…、また今度会おうな」
「俺、毎日ここにいるから、いつでも遊びに来てくれよ」
廊下に出ると誰かに見つかる可能性があるという事で、水瀬は小窓に足を掛けた。
自分が帰るべき山を見ながら、何かを唱える。
水瀬の周りに薄い光の膜が張った時、彼は可叢の方を向いて言った。
「お前、俺の髪や瞳を綺麗って言ったけど」
「うん。綺麗だよ」
「俺は、お前のその赤い瞳の方がずっと綺麗だと思うぞ?」
水瀬はそう言うと、ニッコリと笑って姿を消した。
現れた時と同じ、ぶおんという音と共に。
「…本当に消えちゃった…」
次はいつ来てくれるのかわからないけれど。
『お前のその赤い瞳の方がずっと綺麗だと思うぞ?』
奇異な目で見られたことはあっても、その瞳を褒められた事なんて無かったので
可叢はとても嬉しくなって、思わず頬が緩んだ。
*****
近頃弟の様子がおかしい。
可叢の兄、樋高(ひだか)は思う。
ある日を境によく笑うようになった気がする。
楽しい事はあまり無いからと、あまり笑顔を見せる事は無かったのに。
同じ頃から、随分長い間、自分の部屋にこもるようになった気がする。
以前なら、部屋にいるのは退屈だと言って、庭で走り回っていたのに。
尋ねても、「別に変わりはない」という返事。
瞳の事もあって、人一倍弟を心配していた樋高は、以前より一層不安げに弟を見守っていた。
何故可叢の様子が変わったか。
それは勿論水瀬との出会いである。
他の誰にも話してはいけない出会い。
それでも可叢はとても嬉しかった。
自分の部屋に来た水瀬から外の話を聞くのが楽しかった。
「俺、町に行ったことがないんだよ」
「うーん、俺も大っぴらに出て行ったことは無いけど、騒がしい所だぞ」
「たくさん人が歩いてるんだろ?」
「そりゃそうだよ。服装とかも色々さ」
「物を売ってたりするんだろ?」
「うん。たくさん店が並んでてさ、ちょっと斜めになった台に、品物が置いてあるんだ」
「斜め?」
「そうすれば、全部の品物をよく見る事ができるだろ」
「そうか、面白いな〜。何を売ってるんだ?」
「何って…色々だけど…。あ、もしかして可叢、飴とかも食べた事無かったりする?」
「…話には聞いたことあるけど」
「これこれ」
「何これ?棒?」
「違うよ。これをこうやって折って…。ほら、食べてみろよ」
「……凄―い!話に聞いてた通り甘いよ」
「これが飴。どうだ?」
「美味しい!」
「へへ〜。また何かあったら持ってきてやるよ」
「でも、大っぴらに外に出ないって言ってたのに、どうやって買ってくるの?」
「ちゃんと人間に化けることができる仲間がいるんだよ。そいつに頼むんだ」
「化ける!?」
「そう。金色(こんじき)の髪に碧の瞳の仲間がいるんだけど、そいつがちょっと呪文を唱えれば、
あっという間に黒髪黒瞳の人間になっちゃうんだ。面白いぞ」
「凄いね〜」
「俺もいつかその術を使えるように頑張ってるんだ。そいつに習ってな。
そうすれば、わざわざ隠れてココにこなくても良いだろ?」
「うん!…それにしても、金色の髪に碧の瞳か…。
物の怪の血が混ざってると、そういう色の髪や瞳になるものなの?」
「どうなんだろうな。でも考えてみたら確かに黒髪黒瞳の物の怪っていないな」
「もしかして俺もそういう血が流れてるのかな」
「うーん…それは違うと思うけど…。お前から妖力を感じないし」
「そうか…」
「…何で?」
「だって俺、水瀬たちと一緒にいる方が楽しそうなんだもん」
「…お前変わってるからなぁ…」
「えー!?別に普通だよ〜!」
このような会話を延々交わし、日が暮れる頃に水瀬が帰る。
2人にとって素晴らしい時間だった。
『普通』でない二人同士、とても楽しい時間だった。
けれど、それは二ヶ月ほど続いた後崩壊の時を迎える。
*****
「樋高様、お話がございます」
可叢の身の回りの世話をしている少女が、ある日樋高の前に立った。
「どうした?」
「もう少し早くにお話すべきだったのかもしれませんが…、可叢様のご様子がおかしいのです」
その言葉に、樋高の顔色が変わる。
「どういうことだ?」
「はい。可叢様お一人でいらっしゃるはずのお部屋から、話し声が…。
気のせいかとも思ったのですが、ほぼ毎日、この二ヶ月ほどの間ずっとなのです」
「………なるほど」
「それで、誠に失礼だとは思ったのですが、中の様子を窺うとそこに…」
「まさか、弟以外の何者かが入り込んでいたと?」
「はい、それが…」
少女は口に出すのを躊躇っているようだ。
樋高はそれがもどかしく、つい声を荒げる。
「どうした!一体誰が可叢の元に!?」
「その…一応人型はとっているのですが、銀の髪に尖った耳の…」
「……物の怪か……!」
樋高は思わず拳を握り締めた。
*****
「可叢、お前は一体部屋で何をしている?」
ある朝、呼び出された早々の質問に、可叢は答えに詰まった。
「…何を…とは、どういう意味でしょうか?」
「それは、お前が一番良く知っていると思うが」
樋高は立ち上がり、可叢の手を引いて歩き出した。
「兄上?何処へ…」
「何の術を掛けられた?何故兄に話す事ができない?」
そこで、可叢はハッと気付く。
兄は、自分が部屋で何をしているか知っている。
しかも、水瀬の事を誤解している、と。
「兄上は何か誤解されています。水瀬は…!」
「物の怪の名は水瀬か。良い。全ては華奈から聞いている。お前はここにいろ」
そう言って樋高は、可叢を小さな部屋に入れて鍵をかけた。
「兄上!?これはどういうことなのですか!?」
扉をどんどんと叩いて抗議する可叢に、樋高は小さく応えた。
「その物の怪はきっと、お前を拐すつもりに違いない。そうなる前に手を打とう」
「まさか兄上…水瀬を殺すおつもりですか?やめて…やめて下さい!水瀬は物の怪では…!!」
可叢は必死に訴えたけれど、樋高はそのまま何も言わずに行ってしまった。
「兄上!!」
今日も水瀬はやってきた。
何も知らずに可叢の部屋に入り、そこが空っぽな事に首を捻る。
「…あれ?おかしいなぁ…。今日もいるって言ってたんだけどな…」
ボソリと呟いたけれど、やはり可叢の気配はない。
仕方がないのでそこでしばらく待つ事にした。
「また兄さんの説教とかかなぁ…」
水瀬が座り込もうとしたとき、嫌な空気が部屋を包んだ。
「…!? な、何だ…!?」
息が苦しくなって、手足が震え出す。
ここに居たくない。
ここに居られない。
「…これは…まさか…」
震える四肢を叱咤しながら辺りを見回すと…あった。
「祓い札…。どうして…」
しかし、それを考えるより、この部屋から出ることの方が先だった。
いつもここに来る時に使う小窓は少し高いので、今の体では上がれそうにない。
危険を承知で水瀬は、外の高廊下へ出る襖を開けた。
…途端。
ひゅぅっ
風をきる音とともに何かが水瀬の胸を貫いた。
そこが、焼けるように熱い。
「うわああぁぁっ!」
思わず声を上げ、水瀬は膝をついた。
見れば、胸に矢が刺さっている。
必死に抜こうとするが、矢にも部屋にあったような祓い札があり、びくりともしない。
息が、詰まる。
「苦しいか。やはり貴様は物の怪…」
廊下と面している庭の方から低い声が聞こえた。
樋高だ。
「…だ、誰…?」
「よくも弟を誑かそうとしてくれたな、水瀬とやら」
「そうか可叢の兄さん…」
「可叢がいつもと違う様子だと思えば…まさか物の怪が関わっていようとは…」
「俺は…物の怪だけど…違うんです…」
「…聞く耳持たんな。今一度矢を持て!」
樋高は、そう言って弓を構えた。
「華奈!」
可叢は大声で叫ぶ。
「何が起こっているんだ!兄上は何をしている!?」
華奈――可叢付の侍女――はオロオロとする。
「あの…可叢の部屋に来ていた物の怪を退治せんとなさって…」
「やっぱり…。水瀬は悪くないんだよ!とても良い奴なんだ!」
「けれど物の怪です。可叢様に何か悪い影響が…」
「そんなのないよ!華奈、早く…早くここから出してくれ!!」
ギリ…ギリ…
弦と弓が鈍い音を立てる。
「悪く思うな…」
樋高は水瀬の心臓に狙いを定め、矢を放とうとした。
その時。
「水瀬!!」
華奈を何とか説得し、小部屋から飛び出してきた可叢が悲鳴に近い声をあげた。
「可叢…」
息も絶え絶えに水瀬が言う。
「兄上…なんて事を…!!」
「…」
目に涙を浮かべて訴えるが、今はそれどころではない。
「待ってろ水瀬、今すぐに薬を持ってくる!」
そう言って、可叢は屋敷の奥へ走っていった。
「――本当にアイツは良い奴だ…」
水瀬の呟き。
突然の弟の乱入に弓を取り落として呆然としていた樋高はそこで我に返った。
「何を突然…」
「どうして普通を求めるんです?」
思いがけない質問に、樋高は黙り込んだ。
「俺、分かんないんですよ。貴方がアイツに望んでいる事が何なのか」
水瀬の息は、どんどん荒くなる。
「あんなに…良い奴なのに」
けれど、きっと真剣な表情になって樋高の目をみつめて言った。
「普通って何ですか?それはそんなにも素晴らしい事ですか?」
…。
二人の間に、沈黙が流れる。
どれくらい経ったか分からないけれど、突然水瀬が笑い出した。
「なーんて」
樋高は驚いて目を見開く。
「ごめんなさい、困らせちゃって」
その間、可叢は懸命に薬を探していた。
その様子を思い浮かべながら、水瀬は続ける。
「本当は、分かってるんですよ。そんなの答えようがないこと」
そして、微笑んで言った。
「皆、違うんですから。『生きて』いる以上『普通』は本来有り得ないんですよ」
樋高は、掛ける言葉が見つからない。
「もうすぐアイツが来ます。そしたらアイツ、泣くと思うんです」
確かに、もうそろそろ薬を見つけてもどってくる頃だろう。
「貴方は俺のこと嫌いかもしれないけど…」
水瀬は倒れないように地を握り締める。
「最期の伝言くらいはお願いできますか?」
「…承知した…」
樋高はこう言うしかなかった。
*****
――ありがとう。
お前に逢えて良かった。
お前はこんな俺と、誰とも違わぬ態度で接してくれた、最初で最後の人間だよ。
――俺は死んじゃうけど、お前はさ、そのまま。
何を分け隔てるでもなくお前の思うままに、そして、ありのままに生きて――
俺が望むのは、それだけ。
それだけだから――
*****
「水瀬!」
息を切らしながら、可叢が戻ってきた。
手には薬と包帯。
そして目の前には。
「…水瀬…?」
俯く兄、樋高と、倒れて動かなくなった水瀬の姿。
可叢は恐る恐る水瀬に近付いた。
「どうしたんだよ、水瀬…。ほら、薬と包帯を…」
勿論可叢はもう分かっていた。
銀の髪の友人は、もうその青い瞳を見せる事がないのだということを。
「水瀬…痛かっただろう?今、矢を抜くから…」
水瀬がどんなに頑張っても抜けなかった矢は、可叢が少し力を入れただけで抜けた。
それでも、水瀬は動かなかった。
「…水瀬…水瀬…」
どうしたらいいか分からず、ただ友人の名前を呼ぶ可叢。
そんな弟に背を向けて、樋高は水瀬の最期の言葉を伝えた。
それを聞いた途端、可叢の赤い瞳から涙が溢れた。
-了-