その日は、ザーザー雨が降っていた。
僕は傘を持っていなかったので、びしょびしょになっていた。
――何処か、雨宿りできる所はないかな…。
家までは、まだまだ遠い。
ココは、街外れ。
大きな木も、屋根があるような場所もない。
――このままだと風邪ひいちゃうなぁ…。
そう思いながら前をよく見ると、突然道が途切れていた。
いや、正確に言えば全てが途切れていた。
――…あれ?
僕は目を疑いながら、恐る恐るその全てが途切れた場所に立った。
崖のようになったそこは、まるで世界の端っこような。
しかし、よくよく向こうを見てみれば、薄っすら見慣れた街が見える気がする。
――雨で、地面が見えないなんてことは無いよな…。
足を出してみるが、確かに地面が無い。
多分踏み出せば真っ逆さま。
僕の体はいつまでもいつまでも落ちていくに違いない。
さてどうしようと辺りを見回すと、つい今しがた通って来た道に、古びた教会があった。
――………ここ…何も無かったよな…。
目の前は途切れているし、突然教会は現れるし。
もう頭の中は大混乱だ。
けれど、このままココにいて風邪をひくのは嫌なので、とりあえず中に入れてもらうことにした。

 ――思ったより、大きくないんだな。
扉の前に立ち、そんな事を思う。
僕の頭より1つ分大きいだけの扉。
よく崩れないな、と思うほどにひびの入った壁。
『立派』とはお世辞にも言い難い。
――まあ、雨を凌げればそれで。
雨宿りをさせてもらう立場のくせに、僕も酷い事を考える。
いやしかし、こんな不審な場所。
気を許すわけにはいかないだろう。
先程、地面はともかくこの教会を、それこそ雨のせいで周りが見えず、見逃しただけかもしれないが…。
いつもここを通るときには、こんな教会は無かったはずだ。
突然現れて、しかも昔からあったように古びているのはとても怪しい。
「こんにちは」
一応挨拶をしてみたが、思った通り返事は無い。
見るからに廃れた教会。
――人はいないのだろうな。
ギギ…。
乾いた音を立てながら、扉を開く。
思いのほか、中は明るかった。

 ギシ…ギシ…
一歩踏み出すたびになる床。
穴だらけになっている木製の長椅子。
外から見た通り、ひびの入った壁。
――本当にボロボロだな…。
屋根に穴が空いていないことだけが救いだろうか。
僕は、一番穴の少ない椅子に腰掛けて一息ついた。
――早く、雨がやむと良いんだけど。
こんな所に長居はしたくない。
だけど、街への道は何故か閉ざされているようだ。
さて、一体どうしたものか。
そう思ったとき、一瞬空が光った。
…稲光だ。
その時僕は初めて、正面にステンドグラスがあることに気付いた。
この教会には似つかわしくないほどに随分と立派なものだ。
そして、そのすぐ前には石で出来た十字架。
「へえ…。コレだけは無事なんだ…」
思わず出した声に、思わぬ返答がきた。
「…誰かいるのかい?」
僕は、ビクッと体を震わせた。
まさか、こんな所に人がいるとは思わなかったから。
雨宿りの先客だろうか?
中に入り、ざっと辺りを見回した時は誰もいないと思ったのだけれど。
「傘を持ってなかったから、ココで雨宿りをさせてもらおうと思って…。それからこの先の道が無くて」
雨宿りというのはともかく、道が無いというのは信じてもらえないかもしれないが。
しかし素直にそう言うと、後ろから肩を叩かれた。
僕はまた、体を震わせる。
いつの間に後ろに来たんだろう?
それとも最初から?
「ゴメン、驚かせちゃった?」
振り返ると、僕とあまり年が変わらないくらいの少年が立っていた。
「いきなり降ってきたもんね、濡れちゃっただろ?」
はいコレ、といった軽い様子でタオルを渡してくれる。
なんだか、力が抜けた。
渡されたタオルで顔や頭を拭いていると、少年はニコニコとこちらを見ながら言う。
「でも、よくココに入れたね」
…なんともおかしな事を。
教会に入れないなんて、そんな馬鹿なことがあるか。
僕が悪魔の類だとでも?
「何でそんな変な事訊くんだ?」
首を捻りながら問い返す僕に、少年は笑ったまま言った。
「ココが、欠片と欠片の隙間だから」
「…は?」
…またなんともおかしな事を言う。
そういえば、よく見れば言ってる事だけでなく見た目もおかしい。
見たことも無いような、変な服を着ている。
柔らかそうな橙色で統一されたその服は、其処彼処でひらひらと布が揺れる。
小さな綺麗な石が、帽子や胸の辺りで光る。
まあ、その服も確かに変わっているのだか、一番おかしいのは…。
「あの…翼が生えてるんだけど…」
外の様子を見る為だろうか。
こちらへ背を向けて扉の方へ向かおうとしたその背には、白い翼が生えていた。
大きすぎず小さすぎず、その少年にはちょうど良いサイズ。
…翼にちょうど良いなどという表現があるかどうかは知らないけれど。
何となく『ああ、ピッタリだ』と思ってしまった。
「うん。だってボクは人間じゃないから」

 その時、僕はどれだけ間抜けな顔をしていただろうか。
ポカンと口をあけて、しばらく頭が真っ白になった。
――に、人間じゃないって…。
変な服を着てるし、翼が生えてたりするけど、目の前にいるのはどう見ても。
「何言ってる…んだ?」
ようやく我に返って尋ねると、少年はニッコリ笑った。
「人間にこんなの生えてないでしょ。動かせるし飛べるし、結構便利だよ」
そう言うと、パタパタと動かして見せた。
――天使だ…。
僕は密かにそう思った。
教会になら、天使がいても何の不思議も無い気がする。
ああ、僕は天使に会ってしまった。
「あ、言っておくけど」
その僕の思考を読んだ様に、少年は言う。
「ボクは天使じゃないからね?」
「違うの?」
僕が首を傾げると、少年はくすくすと笑った。
「全然違うよ。ボクはそんな綺麗なモノじゃない」
綺麗…。
確かに天使のイメージは、とっても綺麗だけど。
「ボクは世界…。世界の欠片なんだ」
「世界の…欠片…?」
少年が、何を言っているのかさらによくわからなかった。

 「ボク達はいつだって、陰から君たちの事を見守っている」
服についたひらひらした布をいじりながら少年は言う。
「君達は知らないだろうけど…、世界は一つじゃないから」
世界は、一つじゃない?
「え?宇宙があって、星がたくさんあって、その星の中に世界がいっぱいって事?」
よく言われることだ。
この広い宇宙の中、ここ以外に生物がいる星なんていくつあるかわからない。
確かに世界は一つじゃない。
それとも国が一つじゃないっていう事なんだろうか。
しかし少年は首を横に振る。
「そういう事じゃなくて…」
ふむ、とちょっと悩んだポーズをとって続ける。
「そうだな。世界は一人じゃないって言った方がわかりやすい?」
「一人じゃ……ない?」
な、何だそれは…。
「全然話が飲み込めないんだけど…」
僕の頭の中は混乱してくる。
天使のような少年曰く、世界は一人じゃない。
「まるで、世界は何人もいるみたい」
まず『人』という単位で数える辺り、何か間違っている気がするのだが。
「うん。そうだよ」
ところが少年は、ニッコリと笑う。
「正確には、たくさんの世界が一つの世界を作り上げてるっていうのかな。ほら、ボクみたいな世界が」
いや、と少年は続けた。
「世界の『欠片』が、だね」
「世界っていうのは君みたいな子がたくさんで作ってるっていう事?」
「うん、まあこの姿は仮の姿だけど」
そう言って少年は頷いたけど、どうにも僕には納得がいかない。
…というか、いまいち理解が出来ない。
「君達人間にはわからないだろうね」
そう言って、僕に背を向ける少年。
微かに動く翼。
「…えーと…名前、訊いても良いかな」
「僕は嘉織(かしき)
「ねぇ嘉織。この世界を、どう思う?」
「…どうって…普通。普通に好きだよ」
あまり、考えた事も無いけど。
「嫌いじゃない?」
「いや、別に…」
特に、嫌いとは思わない。
「………そっか。良かった」
それから少年は、思い出したように手を叩く。
「ああ、ボクの事はS(エス)って呼んで」
その後、俯きながら続けた。
「呼ぶような事も、もう無いだろうけど」
悲しげに笑う少年――Sは、また僕の方を振り返る。
「もっと…もっと聞きたいな。君がこの世界をどう思うか。…いや、君が住んでるこの辺りの事を、どう思うか」
彼は、不思議な事ばかりを言う。

 見晴らしが良いとか、建物が綺麗とか。
えーとそれから…優しい人が多いとか。
咄嗟に出てくるのはそれくらい。
面白いと思ったのは、何故か悪い事が出てこない事。
いつもはもっと、この街は店が少なくて嫌だとか、野良犬が多いから怖いとか。
なんだかよくわからないけど、たくさん悪い事を思いつくのに。
知らない人に訊かれると、なんとなく自分の住んでる所は良い所だと言いたくなるものなのだろうか?
「嘉織…、この街の事、好き?この辺りの事、好き?」
さっきは『嫌いじゃない?』だったけど、今度は『好き?』
何が訊きたいんだろう。
何を言いたいんだろう。
「そんなに好きじゃないと思ってた…。いや、それほど考えた事が無い気がするけど…、好きみたいだ」
そうしたら今度は、さっきより悲しそうに笑った。
「もっと、もっと言って」
更にSは、僕がこの辺りで好きな所を求めてくる。
「ボクが、『S』が消えてしまう前に」
「…消える…?」
Sが、僕の肩を叩いた。
「やっと隙間が埋まるんだよ、お別れなんだ」
「……S?」
もう一度外で稲光が姿を見せた。

 やはりたくさんのモノが集まる時は、何処かに隙間が出来てしまうらしい。
この世界もそうだった。
たくさんの世界の欠片が集まった時、19箇所の隙間が出来てしまった。
ひびの入ったガラスが、ちょっとした衝撃で壊れてしまうように、隙間のある世界も壊れやすい。
だから世界の欠片達は、その隙間を埋めるために新しく19個の分身――欠片を作り出した。
最初に集まるのは簡単だけれど、その隙間の中に新しい欠片が入るのはとても大変な事。
その欠片と隣り合った欠片が違いすぎると、世界が混乱してしまうから。
新しい欠片達はそれを防ぐ為、自分の周囲をたくさんたくさん勉強した。

 「やっぱり、どうせなら良い所を作りたいじゃないか」
Sは、十字架を仰ぐ。
「ココが、最後の隙間だよ。この辺りの事、やっとわかってきたから…埋められる。 ボクは、還れるんだ。」
分身たちは、それぞれの本体に一番近い隙間を埋める為に還るのだ。
「でも…還っちゃうと、もう二度と君達の傍にいることが出来ないから淋しいなって…」
ずっとその辺りの事を勉強していた分、愛着も深い。
「S…」
「でも、いつ壊れるかわからない世界なんて嫌でしょ?大丈夫、ちゃんと還るよ」
タオルは記念にあげる、と笑って言って、Sは十字架の上まで飛んだ。
「嘉織と会えて良かったよ。ボク、これからも君に好きって言ってもらえるように頑張るよ」
僕の見た途切れた世界。
それが今、世界が不安定な証拠。
Sはこれから、それを埋める為に世界に還る。
「ボクは、世界の欠片の中の1つに過ぎないケド…」
そうして、Sは還っていった。
キラキラと輝く小さな砂粒のようになっていく彼を、僕はただ見つめる事しかできなかった。


 彼の姿が見えなくなると、視界がゆっくり白くぼやけて。
ようやく見えてきた辺りは、何事も無く、本当に普通だった。
雨もやみ、途切れた道も元通り。
ただ、教会があった場所には何も無く、僕はタオルを手にしたまま立ち尽くし思う。
――欠片が集まってできた世界…。だから世界は、あまりに儚く脆いんだ。

 「大丈夫。Sはちゃんと僕達の傍にいるよ」
そう言って、埋められた隙間を踏み締めると、なんだか優しく包まれた気がした。

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