ある夜、アクエリアスの部屋で。
…クシュン!
その音が響いた時、アクエリアスはビックリして目を見開きました。
音の主は神サマ。
口元に手を当てて、何とも言えない表情をしています。
「――…神サマ?」
声を掛けると、ん?と微笑みながら振り返りました。
「今…」
「ああ、少し寒かったからね。風邪をひいたのかもしれない」
しかし、アクエリアスの顔は驚きのまま。
どうしたのかと神サマが思っていると、少し後、ようやくアクエリアスが言います。
「神サマは、風邪をひくんですか?」
「え?」
そう言われて、神サマはハッと気付きました。
「そういえば…君達は風邪をひいたりしないんだったね」
いざという時に寝込んでいたりするのはとても困るので、ガーディアン達は病気になりません。
最初から、そういう風に創られているのです。
怪我だって、余程深いものじゃない限り、すぐに治ってしまいます。
自分をそういう風に創り出した神サマも、当然病気にならないだろうと思っていたので、アクエリアスはとても驚いたのでした。
神サマは、苦笑いを浮かべます。
「仕方ないよ、私は…」
そこまで言って、はたりと言葉を止めました。
ちょっと考えるような仕草をした後、また、優しく微笑みます。
「まあとにかく、感染らないとはいえ、一緒にいるのはあまり良くないかもしれないね」
そして立ち上がり、アクエリアスの頭を撫でました。
「早く治るように、今日は早く寝るとするよ。おやすみ、アクエリアス」
神サマがとても優しく『おやすみ』を言ってくれたので、アクエリアスは嬉しそうな顔。
「おやすみなさい、神サマ」
出て行く神サマを見送った後、マントを取って思いました。
――ボクも早く寝ようっと。
もぞもぞとベッドに潜り込み、早く神サマの風邪が治りますように、と祈ります。
と、そこで小さな疑問が。
――…こういうお願いは、誰にしたら良いんだろう?
神サマの病気を治して、と、神サマにお願いするのはとても変な気がします。
かといって、ガーディアンの誰かにお願いするのもおかしいし…。
うーん…と悩んでいるうちに、いつの間にかアクエリアスは眠ってしまうのでした。
+++++
次の日。
疑問に思ってしまったのがいけなかったのか、アクエリアスのお願いは誰にも届かなかった事がわかってしまいました。
神サマの部屋の扉の前で、オロオロとするアクエリアス。
それを見たアリエスが尋ねます。
「どうしたんだい、アクエリアス。そんな所で…」
するとアクエリアスは、本当に困った顔をして答えました。
「神サマの風邪が酷くなっちゃったんです」
「…風邪?」
アリエスが首を捻ると同時に、部屋の中から誰かが咳込むのが聞こえます。
すると、得心したようにアリエスが頷きました。
「それで、君はどうしてココでオロオロしているんだい?」
「ボク、神サマの風邪を早く治して下さいってお祈りしたんですけど、でも、誰にお願いしたら良いのかわからなくて…」
今にも泣き出しそうなアクエリアスの肩を、ポンポンと叩いてアリエスは言います。
「まあ、まずは落ち着く事だよ。普通の風邪なら、余程無理をしない限りは大丈夫だから」
それを聞いて、アクエリアスは少しだけ落ち着きました。
「そう…なんですか?」
「うん。今日一日、暖かくして寝ていれば平気だろうと思うよ。薬があればより早く治るとは思うけど…」
「お薬…?」
「僕らは風邪をひいたりしないからね。下界にでも行かないと、手に入れられないからそれはちょっと」
無理だろうね、と続けようとしたアリエスでしたが、気付けばアクエリアスは向こうへ走り出していました。
「アクエリアス…?」
少しだけ振り返って、アクエリアスは手を振ります。
「アリエスさん、お話どうもありがとうございました!」
そして去っていくアクエリアスの背中を暫く見つめた後、アリエスは首を傾げました。
「……まさか…あの子は…」
+++++
アクエリアスは、知っています。
下界へ行くには、金牛宮と天蝎宮の間にある大きな門を通れば良いのです。
その門は、下界からは開ける事ができませんが、こちらからなら開けられるはず。
大きな大きな門を前に、アクエリアスは気合を入れました。
「よい…しょ…!!」
力一杯押してみますが、門はピクリとも動きません。
困ったなぁと思っていると、タウラスが声を掛けてくれました。
「何だ?門の外を見たいのか?」
「はい」
辺りを見回した後、タウラスはにっこりと笑いました。
「スコーピオがいるとうるさいからな。少し見るだけだぞ」
ググッとタウラスが力を入れると、ゆっくりと門が開いていきます。
自分が通れるくらいの隙間ができた時、アクエリアスはぺこりと頭を下げました。
「ありがとうございます、タウラスさん。すぐに帰ってきますから」
そう言って走って外へ行ってしまうアクエリアス。
大慌てでタウラスが捕まえます。
「ちょっと待て!何だその『帰ってきます』っていうのは!」
マントを掴まれて、動けずわたわたとしながらアクエリアスは応えました。
「神サマが風邪をひいてしまったんです!だから僕はお薬を!」
それを聞いて、タウラスは納得しました。
しかし、手を離しません。
「そういう事情があっても、お前一人で下界になんて行かせるわけにはいかないんだよ」
ひょい、とアクエリアスを小脇に抱えて、タウラスは金牛宮へ。
「でも、でもタウラスさん!」
騒ぐアクエリアスを入り口の前に下ろして、諭すように言います。
「お前、そのまま下界に行くつもりだったのか?人間は、俺達の事を狙ってるんだぞ?」
「?」
見るからに『わからない』という顔を浮かべるアクエリアスに、タウラスは溜め息。
「何で俺達が、ココで門を守ってると思う?人間が、天界を攻めてくるからだ。
俺達から攻撃をした事なんて、一度も無いんだよ。今まで何度も何度も追い払った。
それでも天界を攻めてくるような奴らの所へ、俺達が行ってみろ。どういう事になるか…わかるだろ?」
どうして攻めてくるのか、アクエリアスにはさっぱりわかりませんでしたが、どうやら下界はとても危ない所のようで。
「でも…神サマのお薬…」
それでも諦めきれない様子の彼に、タウラスはニヤリと笑みを浮かべました。
「だーかーら、『そのまま』行かなきゃ良いんだよ」
「そのまま?」
「幸い俺達は、見た目は殆ど人間と変わらないからな。とりあえず服が問題だ。
お前の場合…サークレットとマントと、グラブを外せば大丈夫かな」
自分もアーマーを外しながら、付け加えます。
「水瓶も消しておけよ。下の奴らはそんな物持って歩いてない。まして、大きさが変えられるなんて有り得ないからな」
「は、はい」
「それから、俺も一緒に行く。文句は言わせないからな」
+++++
『ガーディアン』ではなく見るからに『普通の』少年と青年になったアクエリアスとタウラス。
二人は再び下界との境の門の前に立ちました。
「お前…金も持たずに行こうと思ってたのか…」
天界ではお金という概念が無いので、アクエリアスはそんな物が必要だとは全く知らなかったのです。
「誰かに何かを貰ったら、自分も何かをあげたいと思うだろ。それを物じゃなくて、こういうので交換してもらうんだよ」
先代の神サマが、皆に止められながらもよく下界に遊びに行っていたので、少しなら天界にもお金がありました。
少し、といっても、風邪薬を買うくらいなら十分すぎる金額です。
「…神サマの癖に、博打に手を出してたからな…。まったく仕方ねぇ神サマだったよ」
呆れながらも懐かしそうな顔を浮かべるタウラスに、アクエリアスは笑いかけました。
「タウラスさんは、前の神サマが大好きなんですね」
はっきりそう言われて少々うろたえつつも、タウラスは、そうだなぁ…と言います。
「さて、じゃあさっさと行って帰ってくるか」
「はーい!」
+++++
ベッドの上で神サマは、ボーっと窓の外を眺めていました。
――妙に…静かだなぁ。
いつもなら、アクエリアスが魔法の練習をして、その場で報告に来たりするのですが、今日はそんな事も無く。
――昨日、『一緒にいるのはあまり良くない』なんて言ったから、気にしてるのかな。
彼は、元々そういう性格なのか、創られたばかりだからなのかわかりませんが、とても素直なのです。
神サマの言う事は何でも聞いて、何でも信じてしまいます。
――素直なのは良い事だけど、もう少しだけ……。
そう思っていた時、扉をノックする音が聞こえました。
「どうぞ」
すると、小さな紙袋を持ったアクエリアスが飛び込んできました。
後ろには、タウラスの姿も見えます。
でも二人とも、何だかいつもと少し違う格好です。
「…一体どうしたんだい?」
そう尋ねると、アクエリアスは満面の笑みを浮かべ、紙袋を神サマの前に出しました。
「神サマ!コレ、お薬です!コレを飲んで、早く風邪を治して下さい!」
袋を受け取りながら、神サマはとても驚きます。
思わずタウラスの方を窺うと、頭を掻きながら理由を説明してくれました。
「…で、二人で下界に行って買ってきたわけなんですけど」
ニコニコとしながらこちらの顔を見るアクエリアスの頭を撫でながら、神サマは言いました。
「どうもありがとう、アクエリアス。きっとすぐに治るよ」
パッと明るい顔を浮かべて、ウキウキと部屋を出て行くアクエリアス。
それに続こうとしたタウラスを、神サマは呼び止めます。
「ありがとう、タウラス。彼の我が侭に付き合ってくれて」
「いいえ。俺もたまには下界を覗きたかったですからね」
軽くそう言った後、思い出したようにこうも言いました。
「下界の人間は皆、元気でしたよ」
「……そうか…」
+++++
「それはまた、何て無茶を」
藍色の髪の青年が、呆れ返った顔で言います。
「タウラスは本当に、子供に甘いのだから…」
けれど、神サマは首を横に振ります。
「放っておいたら、アクエリアスは一人で何とかして行ってしまっただろうからね。
そんな事になる前に、格好も人間らしくして、ついて行ってくれたんだろう」
「しかし…」
「それから」
「?」
「彼も、先代がよく訪れていた下界に、行きたかったんじゃないのかな」
「…そうですね」
少し間を空けた後、突然神サマがクスクスと笑い始めました。
「どうなさいました?」
「いや、実は今日、アクエリアスは、いつも素直に周りの言う事ばかりを聞いていないで、
もう少しだけ自分の意志で動いてくれたらなって、思っていた所だったんだ」
ようやく笑いを抑えて、神サマは青年の顔を見ます。
「でも、私が心配しなくても、彼は自分の意志で動いているんだね」
少しずつだけれど、彼は確実に成長している。
神サマはそれがわかって、とても嬉しくなったのでした。
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