「姉さん」
声が部屋に響いた時、ライシャは自分の体が震えるのがわかった。
それは、いつも明るく声を掛けてくれる弟の声ではなかった。
10年前の『事故』以来、まともに顔も見られなかった。
まして、声を掛けることも声を掛けられる事も無かった弟の声。
あの頃よりもずっと、落ち着いているような気がする。
10年も経ったのだ、当たり前だと、心の中で誰かが言う。
目を上げると、いつのまにか自分よりも大きくなった、弟が立っていた。
無表情だが、決して冷たくないその目に、ライシャは少し安心した。
わかっている。
彼は、自分に危害を与えるつもりはないのだ。
ただ、自分が彼を怖がっているだけ。
何も悪くない、彼は何も悪くない。

 ルキは、ライシャの前に歩み寄ると片膝をついた。
そして、姉の顔を見上げる。
自分は、いつの間に姉よりも大きくなったのだろう。
気付いた時には、もう姉よりも大きかった。
そんなことに客観的に気付くほどに、彼女に避けられていた。
それから自分も、近付かなかった。
いつもなら、下手をすると走り出して怯える姉が、今日は避ける事すらしないので、ルキはゆっくりと口を開いた。
「…仕方ないよ、姉さん」
ライシャは目を見開いてルキの顔を見た。
『仕方ない』
それが何を意味するか、ライシャはすぐに悟った。
「僕は行くよ、呼ばれてるんだ」
そう言って立ち上がる弟の腕を、ライシャは知らないうちに掴んでいた。
「ごめんなさい。私、信じてないから…」
ルキはしばらく黙っていたけれど、姉の目を見ながら静かに言った。
「謝らないで。そんな言葉に価値は無いから」
ライシャの目から涙が溢れる。
何度も、何度もごめんなさいと言っていた。

 その目で凄惨な現場を見ながらも、彼女は信じられなかった。
けれど、『彼』の言った言葉と表情に、戸惑いを隠しきれなかったのだ。
「そうね…、そうなのよね」

 どうしてそんな事を言いに行ってしまったのだろう。
『信じて欲しい』?
いや、僕は『彼女』の為だけに。
ルキは大きく息を吐いた。




previous + back + next