もう駄目だ、と思った。

瞬間、辺りに赤い光が。
火詩(ほし)は思わず目を瞑った。
その光は眩しく、そして何より…。

――暖かい……。

まるで、春の様に。

もしかして…この光は…。

+++++

夏の精霊の声が聞こえる。
『この力は、とても危険なものなんだ。
使えば、君の命は無いと思ってくれ。
本当の……最終手段だよ』
子供の姿をした、気さくで明るい精霊は、その一瞬悲しい顔になった。
『アイツを…"冬"を助けてあげてよ』

いつの頃からだっただろう。
この世界に『冬』という季節しかなくなってしまったのは。
少なくとも、沙梨(さり)が生まれた頃には既に他の季節は無かった気がする。
そうだ。
幼い妹は、『季節』を知らない。

「春は暖かいんでしょ?夏は暑いんでしょ?
秋には涼しくなって…。……冬は…もう良いや。
だって、雪がいっぱいだから、外に行けないんだもん」
そう言った妹の言葉が忘れられない。
「本の中の皆はねぇ、色んな所に行ってるの。
もしも春が来たら、あたしとお兄ちゃんと一緒に旅に行きたいな」

この世界に季節を齎すのは精霊たち。
4人の精霊がバランスを取りながら四季を司る。
ところが、その長である冬の精霊が突然狂気に踊らされた。
僕達人間に、その理由なんてわからない。
わかるのはただ、もう冬しか来ないという事。
そして、その原因は冬の精霊だという事…。
それならば。

『他の精霊の力を借りて、冬の精霊に正気を取り戻して貰おうか』
僕のこの言葉に、火詩は驚嘆した。
『そんな簡単に…。俺達にそんな事ができるとでも?』
『できるさ』
何の根拠も無く、僕は笑った。
『きっと、できる』
火詩は呆れ返った顔をしながらも、『わかったよ、ついて行ってやる』と言ってくれた。
どうせ、いつか誰かがやる事だと…僕は思ったから。

「お兄ちゃん、『季節』を取り戻しに行くの?」
沙梨が、大喜びしながら言った。
「『季節』が戻ってきたら、あたしも旅ができるの?」
「そうだよ」
「わーい!雪が融けたら皆で旅ができるよね。だから、雪が融ける前に帰ってきてね」
「…うん。待っててね、沙梨」
「約束だよ」

「黎(れい)、沙梨の事を頼むよ」
「…ああ…。気を付けて」
「……本当に、頼んだよ……」
「永貴(えいき)、夏の精霊がお前に与えた力は…」
黎が、何を言おうとしたか悟ったけれど、僕は何も言わずに微笑んだだけだった。

「行こうか、火詩」
「言っておくけどな、お前にあの力は使わせないぞ」
火詩の言葉にも、僕は微笑で返しただけだった。

どうしてもという時には、君達が助かるというのなら、僕は喜んでこの力を使うと思うよ。

言えなかった、隠された言葉。

+++++

ごうごうと吹雪いていた音がやみ、辺りは静かになった。
指が…動く。
意識が戻ってくる。
目を開けると同時に、火詩は飛び起きて叫んだ。

「永貴!!」

視界の端に、永貴の倒れている姿が入る。
軋む体に鞭打って、火詩は彼の元に走った。

+++++

「――…雪が融ける前なんて…間に合わないみたいだな」

ポツンと僕は呟いた。
わかっているんだ。
僕にとってもう……間に合うとか間に合わないとかの問題じゃなくて…。
目を瞑れば、沙梨の声が頭を掠める。

『雪が融けたら皆で旅ができるよね。だから、雪が融ける前に帰ってきてね』

「――帰ら…なくちゃ…」
頭がくらくらする。
目が上手く見えない。
剣を頼りに立ち上がろうとする僕を、火詩が怒鳴りつける。
「馬鹿野郎!」
火詩の声が遠く聞こえる。
涙ぐんでいるような、震えた声。
「どうして泣いてる…?勝ったんだよ…、僕達は」
駄目だ。
力が入らない…。
何かが、僕の手に触れる。
「ああ!勝った!」
力強いのに、遠い声。
声の遠さに反して、火詩は僕の傍にいた。
やっと視力が戻って来てわかった。
火詩は傍どころか目の前にいた。
僕の手を握って、泣いていた。

仰向けのまま、僕は辺りを見回す。
ボロボロに壊れた広間。
冬の精霊の住処。
壁も崩れ落ち、外の景色が見える。
「勝ったんだ…」
「勝ったよ!だけど…それはお前が…!!」
痛いくらいに、僕の手を握る火詩。
「あれほど…あれほどあの力は使うなって言ったのに…!!」

そうだ。
僕は、この世界を永遠の冬から救い出した。
火詩にも、黎にも止められた、あまりに強力すぎる力を使って。 もうすぐ僕は…。

「約束を破ったら…、沙梨、怒るだろうなぁ…」
「当たり前だろう!?アイツは俺たちの…お前の帰りをずっと待ってて…」
火詩の涙が、僕にかかる。

「泣くな、火詩。僕だって帰りたい。もう一度沙梨に、皆に会いたい。…それから…」
「…それから…?」
「春を…見たかったな…」

もう何年も見ることができなかった、咲き乱れる花々を。
暖かい風が吹く、緑の丘を。
それがやっと、こんなにも近くに来たというのに僕は、それを見ることなく逝かなければならないのだ。

何だか自分が情けなくて、僕は思わず苦笑した。

大きく崩れた壁から地平線が見える。
白やんだそれから、もうすぐ夜明けが来ることがわかる。
暖かい太陽の光が、この白い世界を緑に変えるのだろう。
雪が融けて流れるその様は、さぞや美しいものだろう。

「火詩…この世界は…       」
「!」

僕の、全身の力が抜けた。

 

 

+++++

その日は、いつもよりも夜明けが早かった。
久しく見ない大きな太陽が顔を覗かせる。
黎は、それを見てすぐに気付いた。
「…永貴…」

「おはよう、黎。なんだか今日は明るいね」
沙梨が、目を擦りながら姿を見せた。
「それに、いつもよりずっと暖かい気がするよ」
「…そうだね」
「もしかして、お兄ちゃんが勝ったのかなぁ!?うん、きっとそうだよ!」
沙梨は辺りを跳ね回った。
「そうだね、沙梨ちゃん」

黎は笑顔で沙梨に返したけれど、心中は穏やかでなかった。
彼の犠牲を知っているから。
――永貴…お前、やっぱりあの力を…

「もうすぐお兄ちゃんと火詩、帰ってくるよね。この川の上の方から、帰ってくるよね」
「……うん」
数日前に凍りついた川の上流へと旅立った永貴と火詩。
この暖かい陽気だ。
恐らく冬の精霊との戦いには勝ったのだろう。

「早く帰って来ないかな。この川が融けて流れ出す頃には帰ってくるかな」

 

今まで白かった世界が嘘のように日に日に緑に変わっていく。

「…お兄ちゃん達…まだ帰ってこないね。川…全部融けちゃったのに。早く旅に行きたいのに」
「……」
「黎も勿論行くでしょ?あたしと、お兄ちゃんと、火詩と…4人で旅に行くの!ね?ね?」
「沙梨ちゃん…怒らないでね?」
「何が?」
「帰ってきた時、火詩を…責めないでやってね?」
「?」
「どうしようもなかった。そうだ…他の方法なんて無かったんだよ…。」

夏の精霊から貰った、禁断の力を使うしか。 

 

 

一人になって、何日が経っただろうか。

「永貴…お前が望んだ、春が来たよ」
火詩は、動かなくなった友人を背負い、一歩一歩川沿いを歩きながら呟く。
無論返事はあるはずもない。
その足元は、固く真っ白に凍っていた往路とは違い、
所々に残る雪を除けば、鮮やかで柔らかい緑の草地。
目の前に広がる景色も、また同じく。

「お前が言った通り…。この世界は…とても綺麗だ…」

 

 

雪は止まることなく次々と融けて流れていく。

 

 

 

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