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「貴方、いくつ?」 「僕?16歳…ですけど」 「そう、8歳年上なのね」 「…?」 「私、今の……歳まで生きていられない。後…年生きて……良い方だって」 「……一体誰がそんな事を……?」 「お医者様」 「………あの…」 「良いの。それでも私、精一杯生きてみせるから」 あのときの彼女の言葉が、心に染みる。 何故か所々抜けている記憶。 それでもよく残る、あんなにも幼かったのに、あんなにも力強い言葉。 私は、この子を守りたいと、そう…思ったんだ。 けれど……。 鮮やかに晴れ上がったとある朝。 大きな屋敷の中を歩く2人。 「一体何年ぶりなんですか?」 屋敷に仕える女が問う。 それに、並んで歩く長髪の男が苦笑しながら答えた。 鮮やかな橙色の髪に黒い瞳が映える。 「ええと…6年ぶりになりますかね」 「まあ、6年?」 女が驚いて目を見開く。 6年と言うと、彼女がココに仕える前からという事になる。 見たことが無いはずだ。 「私の事がわかると良いのですが」 男が心配そうに言うと、女がくすくすと笑った。 「あら、それは逆ですよ」 「逆?」 どういうことかわからずに、男は首を傾げた。 それを見て、女は更に笑った。 「8歳から6年間なんて…、子供は変わりますよ」 一つの扉の前で足を止めて、女はノックしながら言った。 「特に、女の子は随分と」 その女が余りに自信たっぷりに言うので、男は思わず肩をすくめた。 「どうぞ」 ノックに対しての返事が響く。 可愛らしい声。 どこか懐かしい、と男は思う。 扉を開けると、数人の使用人が縦に長く伸びる赤い絨毯に沿って並んでいた。 それを目で追っていくと、その先には立派な椅子。 そしてそこには一人の少女。 男は、息を飲んだ。 ――あの子が…!? 「お久し振りですね」 椅子に座っていた少女が立ち上がって微笑む。 花をあしらったドレスに身を包んだ彼女は、6年前と同じ少女とは思えなかった。 あの頃の少女は確かにとても可愛らしかったけれど、まだまだ本当に子供で。 その少女が、大人びた風に、実に優雅に近付いてくるではないか。 歩く度に、長く艶やかな黒髪が揺れる。 「お元気でしたか?」 「は、はい。お嬢様。お久し振りです」 男は慌てて跪いて一礼する。 何故か妙に焦っている事が、自分でわかった。 ――これは驚いた…。 先ほどの女が自信たっぷりに言うはずだ。 チラリと少女を見ると、少女はニッコリと笑ってしゃがんだ。 そして、男の耳元でそっと囁く。 「久し振り。全然変わらないね。多分他の人からも言われるだろうけど、後で私の部屋に来て」 「!」 その言葉に思わず立ち上がりそうになったが、それよりも先に少女が椅子の方へ戻って行った。 ――今のは……。 少女が言った通り、男は出会う人出会う人に『お嬢様の部屋へ』と言われた。 まあ、あの少女に仕える為にココへ来たのだから、当然と言えば当然なのだが。 屋敷へ着いた際、最初に案内された部屋の前に立って一つ深呼吸。 そして、あまり大きくない音でノックした。 「何方?」 「私です。お嬢様」 「どうぞ」 了解を得て扉を開けた途端、少女が抱きついてくる。 「わ…っと、お嬢様!?」 「早く、早く中に入って扉を閉めて!」 言われた通り扉を閉めると、少女は男の腕の中で可笑しくてたまらないと言った風に笑い続ける。 「お、お嬢様?」 「やめてやめて、そんな呼び方」 笑いながら髪をかき上げて、男から離れた。 「昔はそんな風に呼ばなかったくせに」 「いや、しかしですね?」 「堅苦しいのは、嫌いなのよ」 やっと笑うのをやめて、少女は近くにあった椅子に腰掛けた。 向かいにある椅子を指差して、男にも座るよう促す。 ちょっと悩んだけれど、男は素直にそれに従った。 「本当は」 咳払いをしてから、男は思った事を口にした。 「何も変わってないという事か」 そしてくすりと笑う。 それを聞いて少女は、何を今更、と言うような顔をした。 「私は私よ。何も変わらないわ」 「じゃあ、猫を被ってるのか?」 その言葉に、少女はムッとする。 「失礼ね!周りが私を作ってるの!だから貴方を呼んだのよ」 椅子の足を蹴りながら、少女はブツブツと言う。 「皆で『おしとやかに』『お嬢様なんだから』ってしつこいの。だから表面だけこうして…ね」 男が黙ってるので、少女はその両頬をギューっと伸ばした。 「痛たた…」 「昔からいた人、入れ替わっちゃって、昔の私を知ってる人が殆どいないのよ」 少女の手を自分の頬からそっと離しながら、男は優しく言う。 「だから淋しくて私を?」 そう言われて少女はちょっと照れた様に答える。 「…そう、そうね。きっと淋しかったんだわ。昔の私を知ってる人に会いたかったの」 「そこで私を選んでくれて光栄ですよ、お嬢様」 すると少女はちょっと意地悪そうに言った。 「何言ってるの。暇なのが貴方だけだったのよ」 男は、やれやれ…と息を吐いた。 「暇だったのは、確かだけどね…」 面と向かってはっきりと言われると、少々心が痛む。 「それは良いが、さっきの様に飛びついたりしても平気なのか?」 「…平気。私、元気なのよ」 拗ねたように応えながら、少女は男の髪を撫でた。 「本当に、久し振り…。良かったわ、また会えて。お姉様にもご挨拶したかった…」 男は首を捻る。 「お姉様…?」 男のその様子に、少女はふと気付いたように俯いた。 「いえ、何でもないの」 そう言った少女の顔がとても淋しそうで、男の胸に何かチクリと刺さった。 「何処へも行かないで。私の傍にいて」 男は、その言葉に操られたように頷いた。 「行かないで。傍にいて。お願いだから……行かないで」 「僕は…」 守ると決めたはずなのに、どうして私は離れた? どうして…傍にいなかった? だいぶ雲が出てきた昼頃。 ひとしきり今の自分の状況を話した少女は、疲れたのか突然黙ってしまった。 窓の方を、じっと見ている。 「…少し、眠った方が良いんじゃないのか?」 男は心配して、少女の顔を覗く。 けれど、少女は首を横に振った。 「良いの。起きているわ」 この少女が一度言い出したら聞かない性格を知っていた。 しかし、先程までとはうって変わったその暗い表情に、男は不安を隠せない。 「だが、無理をしては体に毒だ」 すると少女は、男の目を見てまた首を横に振った。 「……良いの」 その様子に何か懐かしさを覚えて、男は少女の頭をそっと撫でた。 「昔から君は、変に頑固だな」 「…そう?」 「私は、君に無理をさせる事は出来ないんだ」 ひょいっと少女を抱きかかえ、靴を脱がせてベッドに寝かせる。 「寝たくない」 「眠らなくても良いから、せめて横になっていないと――」 倒れたら、どうする?そう言い掛けた時、雨が降り出した。 窓の外は暗く雨音しか聞こえない。 「雲が出てきたと思ったら…降り出したか」 朝のうちに到着してしまって良かった、と男は思った。 傘を差して歩くのはそれなりに面倒だ。 もう少し外の様子を探ろうとして、窓に近付く。 すると、驚いた事に、そこに1人の少年がいた。 「…!?」 黒いローブに身を包み、その端々には薄く透ける布。 そのせいで、顔がはっきりと見えるわけではないが、確かにそれは少年だった。 鈍く光る珠の付いた、長い杖を持っている。 ――いつ、入ってきたんだ…!? 窓が開けられた様子もないというのに。 男は身を硬くする。 少女を、守らなければ。 そう思って、少しずつ後ろに下がった。 少年から、目を離さないように。 その時。 「……ひなた」 少年が、口を開いた。 その名前に、男も、そして少女も反応した。 「何故、その名前を…!」 男が問うが、少年は答えることなく、スーッと少女に近付いた。 まるで、床を滑る様に音も立てず。 「お嬢様から離れろ!」 「待って」 慌てて少年の後を追いながら叫ぶが、それを制したのは少女だった。 「…お嬢様…!?」 「大丈夫。知り合いよ」 その言葉を受けて、初めて少年が男を見た。 暗い瞳は、何も映してない様にも見える。 そしてまた少女の方に向き直ると、小さな声で言った。 「まだ、なのか」 少女は、頷く。 「もう少し。もう少しだから…」 すると少年は、仕方が無いといった風に溜息をついて、また窓辺に滑っていく。 何処かへ帰る様子も無く、ただ、そこにいた。 そっと、男と少女を見ていた。 「……誰…なんです?」 男が少女に尋ねると、宵闇、とだけ答えた。 ただの知り合いとも思えない。 だが、彼が特に危害を加えてくるわけでもなさそうなので詮索をするのはやめた。 雨は激しくなり、嵐に変わる。 時同じくして、少女の様子が急変した。 荒い息が、とても苦しそうだ。 「だから無理をしてはいけないと…」 男はそう言いながら、医師を呼ぼうと立ち上がった。 しかし、少女がベッドの中からそれを止める。 「行かないで」 昔聞いた言葉と、重なる。 あの時も少女は、そう言っていた。 ――あの時…? それがいつだったのか、思い出せない。 恐らく、男が少女の傍を離れた6年前に聞いた言葉なのだろうが。 ――何故、私はこの子の前から姿を消した…? 「……行かないで」 性格は、人一倍明るく元気なのに、それに体がついていかない病弱な少女。 16歳になった時、この少女に仕えるように言われて1人でこの屋敷に来た。 ――1人で? 「貴方はもう、覚えていないのでしょう?あまりに辛くて忘れてしまったのでしょう?――夕」 少女は、泣いていた。 「辛い…?私が…?君じゃなくて?」 「…貴方の……お姉様のこと……」 『お姉様』 その言葉を2度目に聞いた時、男の中に突然昔の記憶が溢れてきた。 ウキウキ、していた。 大金持ちのお嬢様に仕えるなんて、なかなかできない事だと。 16歳になったばかりの私は、浮き立つ気持ちを抑え切れなかった。 傍らに立つ、2歳年上の姉はそんな私を優しく見守る。 「夕、失礼の無いようにね」 「僕は大丈夫。それより姉さんこそ。こんな遠くまで見送りに来てくれて…」 姉は、昔から体が弱かった。 昔から病弱で、よく床についていた。 だから、姉の傍から離れる事に心配はあったのだけれど…。 「私はこのくらい大丈夫よ」 そう、とても穏やかに笑ったんだ。 そして、屋敷のご主人様やお嬢様に挨拶した後、少し心配そうに帰っていった。 初めての対面の時こそ緊張したものの、相手は8歳も年下の少女。 子供子供したその様は、妹が出来たようで可愛かった。 しかも、お嬢様扱いを嫌い、変に堅苦しい扱いをしなくていい。 ただ1つの問題は、姉と同じように体が弱い事だろうか。 「貴方、いくつ?」 「僕?16歳…ですけど」 「そう、8歳年上なのね」 「…?」 「私、今の貴方の歳まで生きていられない。後6年生きていられれば良い方だって」 「……一体誰がそんな事を……?」 「お医者様」 「………あの…」 「良いの。それでも私、精一杯生きてみせるから」 この屋敷に仕えてから半年も経たないうちに、家からの連絡で姉が倒れたと伝えられた。 私は、どうしたら良いのかわからなかった すぐに帰りたいけれど。 「行ってしまうの?夕」 この少女を置いて? 姉と同じように、体の弱いこの少女を置いて? 「行かないで。傍にいて。お願いだから……行かないで」 「僕は…」 どうしたら、良い? 「…ココへ来た時、きっとお姉様はそう思っていたのよ。早く帰りなさい、夕」 その言葉に私は、ハッと顔を上げた。 「お姉様の傍にいてあげて」 少女は、笑っていた。 家に帰り、姉の傍にいた2年間。 医者の努力空しく、姉は逝ってしまった。 「夕、貴方は精一杯生きてね」 私は、傍にいる事以外彼女に何が出来たのだろう? そう思うと、心に大きな大きな穴が開いてしまったようだった。 「姉がいたという記憶を、消す事は出来ないでしょうか」 姉が死んだ後、全てを閉ざしてしまった私を嘆いた両親が、医者を訪ねた。 どんなに辛くても、姉の存在を消してしまうというのは…と、医者は何度も止めた。 色々な方法で、私をどうにか助けようと努力してくれた。 しかし、私は変わらなかった。 医者もついには諦めて、私の中から姉を消した。 住む場所も変えて、私たちの過去を知る事の無い所へ。 おかげで私は少しずつ、普通の生活を取り戻していった…。 「……姉さん…。そうだ、私には姉さんが…」 男が呟くと、少女は静かに頷いた。 「ごめんなさい。辛い事を思い出させてしまって。でも」 少女は、自らの涙を拭う。 「私は、貴方にお姉様の事を忘れて欲しくなかったの」 大切な誰かを失うのは、とても悲しい。 けれど、悲しいからと言って忘れたりしないで。 少女は、そうも言った。 いつのまにか外は嵐が去り、綺麗な夕焼け色をしていた。 「良かった…思い出してくれて…」 息が荒いまま起き上がる少女。 「お嬢さ…」 「夕、お願いだから」 苦しそうに、しかしはっきりと言った。 「昔のように、名前で呼んで」 男は、その真剣な様子に押されるように、小さな声で言った。 「………陽(ひなた)……」 すると少女――陽は嬉しそうに微笑んだ。 「『ひなた』、貴方と同じ名前。私、それを知った時、とても嬉しかったのよ、夕」 ファウム・夕・日向。 それが男の名前。 「宵闇、もう…充分よ。散々待たせてごめんなさい」 陽がそういうと、先程のように宵闇が近付いてきた。 「本当に、もう良いんだな?」 「ええ」 その2人のやり取りが全くわからず、夕はただ見ているだけだった。 宵闇が、持っていた杖をそっと陽に当てる。 「何をするつもりなんだ!?」 夕は慌てるが、陽は落ち着いていた。 「本当は、もっと前にこうなるはずだったの」 陽の体と、杖の先の珠が光る。 「でも、私の我が侭で…宵闇を待たせていたのよ」 光が一層強くなった所で、宵闇が夕に言った。 「何か言ってやれ」 「…どうして…?」 「聞こえなくなるぞ」 その言葉の意味を理解するより早く、陽が笑って夕に言った。 「ずっと、大好き。……忘れないで、私の事」 「――!」 夕が全てに気付いた時にはもう遅く、陽は目を閉じていた。 大切な誰かを失うのは悲しいけど、忘れたり…しないで。 大切に想っているなら、ずっと覚えていて。 今度は、その気持ちを大切にして。 光が消えると、もう辺りは夜だった。 安らかな顔をした陽と、ただ呆然としている夕。 そんな2人を交互に見ながら、仕事を終えた宵闇が言った。 「お前を、待っていたんだ」 ――後6年生きていられたら良い方だって。 確かに、そう言っていた。 「もっと前に連れて行くはずだった。でも、どうしてももう一度お前に会いたいと」 何処へ消えてしまったのかわからない夕を、ずっと探していた。 「お前の中に、陽の記憶が残っていたのは幸いだったな」 この屋敷に呼ばれた時、両親が妙に反対していた理由もわかった。 きっと、夕が姉の事を思い出し、また心閉ざしてしまう事を恐れていたのだろう。 けれど、彼は、来ないといけないような気がした。 「お前は幸せだな」 夕は、そう言った宵闇の方を見たが、もう姿が無かった。 代わりに、青い服に身を包んだ少年が立っていた。 「……君は……?」 「月代。月の化身。宵闇は、闇の化身。そして陽は……」 そう言って、先が三日月の杖をそっと振った。 すると、何も無かった黒い夜空に月が浮かんだ。 柔らかい月明かりが3人を照らす。 「――大丈夫、これからも彼女は、ずっと見ているよ」 月代が微笑んだ。 晴れた時に笑って、曇りの時に機嫌が悪くなって、嵐の時に苦しんで。 夕焼けで自分の思いを伝えて、闇がその幕を下ろして。 たった1日だけど、まるで空のように過ごした少女は、太陽になるよ。 ずっとずっと、貴方を見守っているよ。 明るく、暖かく。 「――陽……」 夕が、泣きながら握り締めた小さな手は、まだ暖かかった。 明日の朝、明るく眩しいけれど、暖かく優しい陽光が自分を包むだろう。 そしてそれは、この少女の想いなのだと。 夕は、そう思った。 |