
魔法使いの朝は早い。
だからその魔法使いの弟子の朝はもっと早い。
何故なら、弟子は魔法使いの身の回りの事を全て世話しないといけないから。
炊事洗濯?当然当然。
掃除、マッサージ、術の準備に使い魔の世話。
本当は、モーニングコールも弟子の仕事…なんだけれど。
魔法使い見習いの少年アカリカは、どうも朝が苦手らしい。
アカリカの師匠であるフォーツバーグは、ノックもせずにアカリカの部屋にずかずかと入り込み、ベッドの前に立った。
「師匠よりも朝が遅いとは…いい度胸じゃないか?」
もうとっくに日が昇っているのに閉まっている窓。
隙間から少々光がもれている。
しかしその光は、位置の都合上アカリカのベッドには届かないようだ。
師匠のふつふつと湧き上がる怒りに全く気付く気配も無く、すやすやと寝息を立てている。
『バーグ…。もういい加減コイツは追い出した方が良いんじゃないか?』
フォーツバーグの肩に止まった黒い怪しげな鳥――マルシュリタが呆れたように言った。
アカリカが来て3ヶ月。
彼がまともに早起きした事なんて無い。
『朝飯もろくに作らないような弟子、いらないだろ?』
けれどフォーツバーグは首を横に振った。
「一度面倒を見ると言った以上、投げ出すわけにもいかないだろう」
そう呟きながら、アカリカの布団を引き剥がす。
「いい加減に起きないか!!」
バサッ
「うわっ!!」
ドサリ
その布団にくっついて、盛大にベッドから落ちるアカリカ。
一体何が起こったのか状況がつかめないらしく、幾度か辺りをきょろきょろと見回してからはたりと気付いた。
「し、師匠!おはようございます!!」
「何が『おはようございます』だ!さっさと窓を開けろ!!」
「は、はいーー!!」
怒鳴られたアカリカは慌てて窓を開ける。
「うわ…」
まるで、今までそこにたまっていたモノが一気に開放されたように光が差し込んできた。
「……朝だ……」
全身に太陽の光を浴びて、清々しい気分になっていたアカリカの頭に師匠の拳が飛んだ。
ゴンッ
「昼だ」
そう言ってくるりと背を向けると、さっさと昼飯を作って洗濯でもしておけ、と付け足して師匠は去っていった。
その際にマルシュリタは、『馬鹿弟子。馬鹿弟子』と繰り返していた。
――師匠は手加減無しなんだから…。
アカリカは、洗濯をしながら先ほど殴られた所をさすった。
だいぶ時間がたったのに、まだ痛い。
どうやらコブができているようだ。
洗濯用の大きな桶に張った水に映った自分の顔を見て溜息をつく。
――魔法が使えたら、こんなのすぐに治せるんだろうけど。
悲しいかな、アカリカはまだ何の魔法も使えない。
固形洗剤をシーツに擦りつけながら、アカリカは呪文を唱えようと試みる。
「えっと…確か癒しの呪文の基本が『カル』だから…」
つい3日ほど前、階段から落ちたアカリカに師匠が使ってくれた呪文は。
「…本当にお前は間抜けだな……。流石の私も呆れかえる。ほら、見せてみろ」
「師匠ぅぅ〜」
「情けない声を出すな。……ティ・カル」
「……あ、アレ…?痛くない…」
「もう、平気だろう」
――あ、そうそう。
痛い部分に手をかざして。
「ティ・カル!」
そう唱えた瞬間。
バシャーーッ
「!?」
何がどう作用したのか全くわからないが、突然桶がひっくり返ってしかも何処かに飛んでいき、洗濯物が散らばった。
「な、何なんだ?」
アカリカは呆然と座り込む。
運の悪い事は重なるもので、その現場はしっかり師匠(といつも通りその肩にいるマルシュリタ)に見られてたりする。
「………アカリカ君……?」
その声に恐る恐る振り返ると、全身から怒りのオーラを出したフォーツバーグとしっかり目が合ってしまった。
「し、師匠!コレはですね…」
慌てて立ち上がり、わたわたと両手を動かしながら、必死に言い訳を考えるが良い言葉が出てこない。
こういうときに一番良いのは。
「ごめんなさい!」
ぺこり。
素直に謝るのが一番。
自分が何も言わないうちにアカリカが頭を下げたので、フォーツバーグは一つ溜息をついて静かに言った。
「何をした?」
「えーと…」
アカリカはもじもじとしながら答える。
「コブを治そうとして…この前師匠が使って下さった魔法を……」
それを聞いてマルシュリタが、声を上げて笑った。
『阿呆。お前のような見習い風情が、バーグと同じ呪文で魔法を使えるか』
「だーってー!」
『阿呆、阿呆。馬鹿弟子、馬鹿弟子。しかも俺様に「だって」とか言うな』
「シュー、ちょっと黙ってろ」
『了解』
膝をつき、フォーツバーグはアカリカの顔を覗き込んだ。
アカリカは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「まったく…」
もう一度溜息をついてからアカリカの頭を撫でる。
「まだ、言ってなかったな。…魔法って言うのは、慣れたモノほど呪文が短くなるんだ」
「短く…?」
「無くなる事は無いんだが、慣れてくれば基本の呪文だけで何でもできる。例えば」
そう言ってフォーツバーグは右手をそっと横に向けた。
「アスラ・ティ・ツィー」
ボッ
直径20cm程の火の玉が、空中に浮かんですぐに消えた。
「本当の呪文はああだけれど私は。……ツィー」
ボッ
先ほどと同じような火の玉が現れ、またすぐに消えた。
「あのくらいならもう、基本の呪文だけで良い。わかるか?」
アカリカはコクリと頷いた。
つまり、上位の魔法使いになるほど呪文が短くなって、最終的には基本の呪文だけで何でも操れる、と。
何の魔法も使えないアカリカが、短縮された呪文を使うと何が起こるかわからない、と。
そういう事らしい。
「まあ、今のでお前も懲りたろうし、自分にちゃんとそれなりの魔力があることがわかっただろう?」
「はい…」
落ち込むアカリカに「カル」と呪文を唱えてからフォーツバーグは立ち上がる。
すっと、コブが消える。
「後で、新しい桶を買って来いよ。それから」
ちょっとキツイ目付きになってピシャリと言った。
「次にこんな事があったらコブ一つでは済まないからな」
その言葉にアカリカは、苦笑した。
『しょうがねぇなぁ。甘い。甘すぎるぜバーグ』
部屋に戻った途端、マルシュリタが口を開いた。
アカリカの姿が見えなくなったので、もう喋っても良いと自分で判断したらしい。
首を色々な方向に動かしながらべらべらと喋る。
『ああいう奴は甘やかすとどんどん迷惑な事をやらかすぜ?今のうちに躾けておかないとな』
「あのな、シュー」
フォーツバーグはマルシュリタを肩から部屋の隅にある止まり木に移し、指でその頭を軽く叩いた。
「アカリカは、魔法に関してまだ何も知らないんだ」
『でもバーグ…』
「まあ、あの寝坊癖はいい加減どうにかしないといけないが、さっきのような失敗は1回目なら許してやらないと」
そう言った後、くすりと笑った。
「わかるか?私だって最初はああだったんだよ」
マルシュリタが首を傾げた。
『バーグが?そんな馬鹿な。お前は立派な魔法使いじゃないか』
「今はな」
窓の外を見ると、アカリカが庭の雑草を取っている。
たまに間違えて、わざわざ植えておいた薬草まで取ってしまっているようだが。
「誰でも『初めて』と言うのがあって…」
フォーツバーグは窓にもたれ掛かってマルシュリタを見る。
「まして、魔法となると、使ってみたくなるんだよ。師匠の魔法を見た後だと余計にな」
『…そうか。俺様がお前の所に来たのは、もう上位の魔法使いになってからだったな』
ふわりとフォーツバーグの肩に飛んできて、マルシュリタも笑った。
『俺様、お前が見習いだった時から見ていたかった』
「それは無理だな」
『どうして?』
マルシュリタの背を撫でながら、フォーツバーグは答える。
「私が見習いだったら、お前を呼び出す事なんてできなかったからな」
マルシュリタは、納得したように頷いた。
「師匠!今何時ですか!?」
遅い昼食を終え(アカリカにとっては朝食でもあるけれど)その片付けが終わると、アカリカは部屋に飛び込んだ。
フォーツバーグがちょっと面倒くさそうに答える。
「あー…、修行の時間だな…」
「やったーー!!」
アカリカは満面の笑顔で大喜び。
「今、準備してきますから、よろしくお願いします!!」
入ってきた時と同じ勢いで飛び出すアカリカに、マルシュリタが呟いた。
『アイツ…修行の時だけは元気だな』
まったくだ、とフォーツバーグはゆっくりと立ち上がった。
「…というわけだ。風の基本魔法は簡単だからな。威力のある攻撃をしようとすると大変だが」
この世界の魔法とは、魔力を持った者が精霊に力を借りて色々な作用を起こすモノ。
魔力は生まれつきあるかないか決まっているが、あった場合は修行によってその力を上げる事ができる。
無かったら一生魔法は使えない。
「エスタ」
フォーツバーグが呪文を唱えると、辺りに優しい風が吹いた。
「この程度の魔法は、あまり使うものではない」
確かに、そよ風の為に魔法を使う事など滅多に無いだろう。
「しかし、最初はココからだ。さあ、やってみろ」
「はい」
言われてアカリカは、とりあえず両手を前に出して精神を集中する。
――精霊さん、僕に力を貸してね…。
そうお願いすると、掌が熱くなってきた気がする。
一つ深呼吸をして…。
「エスタ!!」
…シーン…
「…あれ?」
フォーツバーグは頭を掻いた。
「…そんなに気合を入れて呪文を唱える必要は無いぞ?」
「は、はあ…」
思い切り呪文を唱えて何も起こらないと、結構恥ずかしい。
アカリカはてへへ、と照れたように笑った。
「やはりお前は精神の集中の仕方に問題があるようだな」
「集中の仕方…ですか」
――一生懸命、やってるんだけど。
悩むアカリカの頭の上にマルシュリタが飛んでくる。
『馬鹿弟子。馬鹿弟子。火も駄目、水も駄目。挙句の果てには風も駄目』
「シュー!」
『了解』
フォーツバーグに睨まれて、マルシュリタは素直に定位置――フォーツバーグの肩の上に戻った。
マルシュリタの言う通り、魔法の修行は昨日今日が初めてというわけではなかった。
アカリカが来て、フォーツバーグの家に慣れて来た2ヶ月ほど前。
『修行を始めるのは早いほど良い』と言うのが信条のフォーツバーグは、早速アカリカに魔法を教えようとしたのだ。
魔力がある程度あるのなら、基本魔法は1時間もあれば使えるようになるはずだから。
ところが。
30日間、ほぼ毎日修行しても火の粉一つ出ない火の魔法。
同じく水滴一つ出ない水の魔法。
得意不得意があるだろうと少々我慢してみたものの、上位の魔法使いの割にあまり気の長くないフォーツバーグ。
ついに今日は風の魔法を教えてみようと試みたのだが。
やはり、根気よく火の魔法を教え続けた方が良かったのか。
――まさかココまでどの魔法も発動しないとは思いもしなかったな…。
無言でアカリカの顔を見る。
アカリカはアカリカで、訴えかけるようにフォーツバーグの顔を見ている。
「風は、一番簡単な魔法だ。きっと使えるようになる」
そう、風の魔法の修行は、つい先ほど始めたばかり。
まだ、わからない。
「諦めず、気長にやるんだな」
それは、自分への言葉でもあったかもしれない。
フォーツバーグは、きっとアカリカが失敗するたびに何か言うであろうマルシュリタを部屋に戻らせた。
――もうこうなったら精神勝負だ。
「良いか?願ったりするんじゃないぞ?精霊と一体になるんだ」
アカリカは頷く。
――そうか、お願いしちゃ駄目なんだ。
じゃあ、どうやって?
精霊と一体になるって、どういうこと?
初めての修行の時、師匠は何て言っていた?
精霊の力を借りて、でも精霊と一体になって。
また、深呼吸をする。
「風とは何だ?」
「空気の流れ、ですか?」
「いや、世界を旅するものだ」
だとすると。
――精霊も、旅をしているの?僕も、旅ができる?
そう思った時、誰かの声が聞こえた気がした。
声に導かれるように、喉の奥から言葉が出てきた。
「ラル・アスラ・マージ・ティ・エスタ!」
その呪文を聞いて、フォーツバーグの顔色が変わった。
「馬鹿!何を言ってる!!」
体が軽くなって、景色が変わりかけた時、咄嗟にフォーツバーグが何かを唱えたのが聞こえた。
パンッと何かにはじかれるように、アカリカは後ろに飛ばされた。
「エスタ!」
また、フォーツバーグの呪文が聞こえて、アカリカは風に包まれてふわりと地面に降り立った。
いまいち、何が起こったのかわからない。
「………師匠………?」
ボンヤリと言うアカリカに、フォーツバーグは静かに、けれど厳しい口調で言った。
「一体どういうことだ?私は基本の魔法を使えと言っただけのはずだが」
恐る恐るアカリカが答える。
「あの…精霊に話し掛けてたら、自然に…」
それを聞いて、フォーツバーグは右手で頭を抱えた。
「…流された、というわけか…」
フォーツバーグはちらりとアカリカの方を見て、それから辺りを見回す。
今の風の魔法の影響か、少々地面や菜園が荒れているが、特に問題は無い。
「わかった。慌てすぎた私がいけなかったな。やはりもうしばらく精神の修行に重点をおこう」
そう言って、フォーツバーグはアカリカの肩に手を置いた。
「お前も驚いただろう。今日の修行はもう終わりだ」
「…はい」
よくわからないけれど、言われた以外の事をやってしまったのに怒られなかった。
アカリカはそれに驚きながらも、素直に部屋に戻った。
『見ていたぜ、バーグ。一体どうしたんだ、あの子供は』
フォーツバーグが部屋に戻るや否や、マルシュリタが尋ねた。
『基本の魔法を使っていたんだろう?でもアレは…』
「ああ、転移魔法だった」
ベッドに腰をかけ、フォーツバーグは枕の隣の本をおもむろに取った。
取った本を読むでもなくただパラパラとめくってから、パタンと閉じる。
「精神が不安定なまま精霊に干渉したせいで、流されたらしい」
『精霊は結構悪戯好きだからな』
「私の考えが甘かったという事だな」
『おいおい、バーグ。お前のせいじゃないって。アイツが全然駄目なのがいけないんだろう?』
マルシュリタはそういうが、フォーツバーグは首を横に振った。
「いや、私は何か焦っているようだ」
マルシュリタは肩をすくめるような動作をした。
『それについてはよくわからないが…ま、お前を見てるとさ』
「何だ?」
『よーくわかるぜ?あの子供に滅茶苦茶甘い事が』
その言葉に、フォーツバーグは苦笑した。
「確かにな」
子供は好きじゃない。
だから弟子も取らないつもりだった。
けれど、アカリカが突然押しかけてきて、住み込んで。
朝全然起きてこなくて、料理が下手で掃除も苦手で。
正直すぐにでも追い出してやろうかと思ったけれど、修行を始めて以来。
「師匠!今何時ですか!?」
毎日そう訊いては嬉しそうに外に飛び出していく様を見ると。
「わかるだろう?あんなに子供で駄目な弟子、放っておくわけにもいくまい?」
そんなフォーツバーグに、
『はいはい、そうだな、その通りだ』
マルシュリタは呆れ返った声で答えた。
その後ボソッと『典型的な親馬鹿タイプだな』と言ったのだが、それはフォーツバーグの耳には届かなかったらしい。
「さて、今夜はどんなまずい料理が出てくるのか…」
『間違っても楽しみとは言えないな』
1人と1羽は顔を見合わせて苦笑した。